個人差を考慮する能力が必要

たんぱく質が不足して筋肉が効率よく成長してない人は、プロテインで補う事が出来る。
1日にプロテイン1杯分不足してたら1杯飲めば良いし、2杯分不足してたら2杯飲めば良い。
自分が何杯分不足してるかは、プロテイン以外の食事内容や、生活内容、筋トレ内容にもよる。
10分だけ筋トレしてる人と2時間みっちり筋トレしてる人は必要量が違うのは当然だ。
自分に不足してる量を自分で見つけて、みんななんとなく経験則で飲む量を工夫している。
でも必要量を超えてプロテインを飲むと、別に筋肉には使われないし余ってカロリーになってしまう。
そしてさらに多くプロテインを飲むと、不要分の分解や排出で内臓疲労が発生する。
体質によっては、足りないたんぱく質を補給しただけでも内臓の負担が発生する人もいる。
つまり、有益か無益か、有害か無害か、有益だけど有害、無益だけど無害とか個人差がある事になる。
これって、筋トレの量とか、あるいはスポーツの練習量にも言える事だと思うのね。
いっぱい訓練した方が上達するけど、成長速度の限界を超えた訓練は時間の無駄になる。
無駄なだけなら根性論でやっても良いけど、ケガや疲労でマイナスになるリスクがある。
その先は個人の判断次第で、マイナスにならない範囲を目指すか、無駄にならない範囲を目指すかだ。
まさしくプロテインの量も、効率よく無駄にならない範囲か、健康な範囲で最大限かは人による。
無駄が出れば過剰摂取だという人と、害が出れば過剰摂取だという人に分かれると思う。
それって、無駄が出ればオーバーワークなのか害が出ればオーバーワークなのかにつながるだろう。
害が出るからやめろは忠告として通るけど、無駄が出るからやめろは大きなお世話じゃないかな。

トレーニングはやり過ぎなくてもリスクのある物だ。
やり過ぎるほどリスクが大きくなるけど、どこまでがやり過ぎじゃないかは個人差でしかない。
そして結果論でしかない。
いっぱいやり過ぎてケガした人が、その半分だったらケガしなかったとは限らない。
ほんのちょっと何かがズレた世界線なら、同じやり過ぎでもケガしてないかも知れないし。
だから用心して、リスクがありそうだとなんとなく感じただけでも気をつける必要はある。
他人のやり過ぎたトレーニングには、オーバーワークに気をつけようと口出ししたくなるだろう。
逆にやってる本人は、まだケガしてない範囲でやってることにリスクを感じていない。
いつもやってるから大丈夫だと感じていて、他人のアドバイスを聞き入れる気はない。
最近YouTube界隈では、こんな感じで論争が起こっている。
さもなんとか理論となんとか理論の対決のように言ってるが、どっちも経験則による偏見だ。
そんなにやったらオーバーワークになるという予想と、ならないという予想だ。
理論で予想してるわけじゃないし、どちらが勝っても結果論にすぎないから理論の証明にならない。

だからってこの内容の展開を見たくないというわけではなく、むしろ楽しんでいる。
例えば田中が竹迫より大きな成果を得たなら、山本の信用は丸つぶれでそれも面白いだろう。
逆に田中より竹迫が大きな成果を得たなら、むしろ田中の動画が面白くなる事に期待できる。
どちらが勝っても、多くやるほどリスクがあるという事実はなんら変わらん。
山本のマネしてもケガするやつはするし、田中のマネして成長するやつもいるだろう。
どれか一つの答えが万人に通用するわけじゃないので、どれが正解って事もない。

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