デブでも守れるルールが必要
色んなダイエット方法が流行ったり消えたりしているわけだ。
流行るんだったら何か理由があるはずだし、消えていくなら良くなかったんだろうとも言える。
流行るししかも消えるって事は、良くないダイエットがなぜ流行ったのか不思議なわけだ。
もう答えはこれしかないんだけど、規律のなかったデブに規律を与えると体重は減りやすいんだよ。
その規律がどんなに愚かな物でも、無秩序に生きてるデブに何かルールを与えることが大事だ。
例えば朝食にバナナみたいなルールでも良くて、何かルールを守らせる事がさらなる秩序をもたらす。
ルールを実践する前は好きな時間に寝て起きて、好きな物を食っていたデブが一念発起するわけだ。
朝に起きないとバナナを食べることも出来ないしな。
しっかり朝起きてバナナを食べてると、デブにとっては少し努力した満足感が生まれる。
それ以外はいつ何を食べても良いですよって言われても、努力してるつもりのデブは食べなくなる。
つまり朝にバナナを食べることではなく、本人の追加努力が体重を減らす可能性が生まれる。
与えられたルールが難しいと思うか簡単だと思うかに個人差があるから、効くか効かないか別れる。
その人にとって難しすぎる努力だと挫折するし、簡単すぎても努力してる実感をもたらさない。
ちょうど良く、その人にとって持続可能で満足感もあるルールを与えれば、たいがい体重は減る。
厳密に言うと体重が減ることが骨スッカスカ筋肉ヒョロヒョロになるだけのダイエットもあるだろう。
でもとにかく体重という目先の数字は、規律のないデブに規律を与えると簡単に減る。
で、自分もやせましたって口コミが広がって流行し、やがて消えていく。
これこれを実践するだけって言うダイエットで、本当にそれ以外何もしない訳ないんだよ。
入り口はこれをするだけだから簡単だよって言って始める。
じゃぁそれを実践してるから大丈夫だっつって、他をやたら無軌道に振る舞えるデブはいない。
それだったら最初からダイエット自体しない。
一念発起で一つルールを守るんだって決めたデブは、もう無軌道に振る舞う事などできないんだよ。
せっかく努力してるのにそれに逆行すると思ってることを心理的に出来なくなってしまう。
そりゃグータラ好きに生きてる状態よりは規律がある方が健康も感じるだろうよ。
何か努力すると何もかもが良くなったように勘違い出来る。
だったら酒を減らそうかとか、おやつも我慢しようとか、どんどん追加の努力で良くなっていく。
そういう一連の良いスパイラルが、あらゆるクソみたいなダイエットが流行する原因なんだろう。
出来ればそのダイエット法と称する何かしらの簡単なルールが、害のない物であればなお良い。
そして重要なのは、デブが自分で追加した努力が害のない物であればなお良い。
害のあるダイエット法に害のある努力を足すと、体重と呼んでいる数字と共に健康を削ることになる。
害のないダイエット法に害のない努力を足すと、体重はあまり減らないけど健康もキープ出来る。
流行るって事は体重が減ってる事なので、それはもう毒でしかない。
でもそうだとしても、無軌道に生きるくらいなら何かしらのルールに従った方がよい。
間違ったダイエット方法が流行ることに嫌悪を持ってたが、何もしないよりは良いと思った。
あたしはテレビにマツコやぼる塾が出てると体調が悪くなる病気なので、テレビを消す。
あたしの病気に差し障るような人物がなるべくテレビに出ないように願っている。
だから日本中から、あたしの病気に差し障るような人間が一人も居なくなれば安心出来る。
あらゆるそういう人達には、何か一つルールに従い、無軌道に生きる事をやめて貰いたい。
それが不健康な方法だろうが何だろうが知ったこっちゃない。
だから今日からあたしは、間違ったダイエットでもいいからどんどん流行れ派になる。