爆笑王の死

あたしは志村けんで毎週お腹が苦しいほど笑ってたから、それで当たり前だと思ってた。
子供は全員志村を見て、全員笑って、誰も面白くないって言う人はいなかった。
当時は疑問にも思わなかったが、今だと誰が面白いとか面白くないとか意見が割れるよ。
志村が突出して面白いから意見が割れないって事じゃないと思うわけ。
突出して面白いダウンタウンでさえ、面白くないって言う人はいる。
あたしはとんねるずが面白くないけど、そういう風に意見が割れるのが普通だ。
志村と加藤とどっちが面白いかぐらいの話はあったが、なんせ同じグループだからな。
それはスマップで誰が好きかみたいな話で、スマップ自体を好きかって話じゃない。
ドリフターズは好きで当たり前、志村も好きで当たり前、嫌いな人は見たことない。
こんなことってあるか、今はないだろって事よ。
もう少し上の世代になると、コント55号や欽ちゃんを嫌いな人なんていたかって事よ。
今は志村や欽ちゃんみたいな絶対エースがいなくて、人それぞれの推しが存在してしまう。
つまり多様化したって話をしたいのね。
極論を言えば、志村しか知らなかったから、こっちも笑い方を知らなかったのよ。
志村で笑うのは当時の正解であって、正解だから笑っていたに過ぎない。
自分の内面から発し、自然に面白いと思ったのが志村だったわけではない。
爆笑してたくせに、あえて言うが、あたしの笑いの好みは日本という環境に育てられた。

アメリカの笑いは全然つまらないが、それでもアメリカ人はそれが正解だと思って育つ。
日本だって、もっと娯楽が少ない頃は、関西と関東で笑いの種類が違ってたろ。
あたしのとんねるずが面白くないってのも、もっととんねるずを見れば変わってたかもな。
とんねるずを見て面白がってる人達が面白くなかったから、あまり見てないもんな。
その、見ないという選択肢がとんねるずの頃にはあったわけよ。
志村の頃には選択肢がなかっただろうよ。
世の中に普通という物が存在し、普通を目指し、画一化していった時代だった。

いや別に志村を否定する目的じゃないが、時代は否定したい。
あの頃はダメだった。
今のダメな老人共が作ったダメな時代だった。
しょうがないけどな。
あたしには志村で笑った記憶しかないし、面白くなかったことなど一度もない。
だからこそ、それはダメって事。
今の子供達が志村というかドリフを見て笑ってる所なんて見たことねーわ。
YouTubeでもエムワンでも笑ってるのにな。
だからひょっとして、我々があまりに志村を褒めすぎて、若者は引いてるかなと感じた。
何が面白いの?と聞かれたら、当時はそれしかなかったと答えるしかない。
刑務所の慰問はよく笑うって言うのと一緒かな。

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