アンガーマネジメント

怒りの感情と怒りの表出は分けて考えることができる。
例えば子供を叱るときに、怒ってなくても怒ってみせる。
相手が別に子供じゃなくても、怒ってる演技をして金品をせしめるクレーマーもいる。
あたしの観察では、感情で怒ってる人と表出で怒ってる人の区別は難しい。
怒りをあらわにせず、なんとか冷静にかつしつっこくねちっこく、ずっと粘る人もいる。
だから感情の方の怒りと表出の方の怒りは、まず区別して、どっちの話か分けるべき。
感情の怒りをコントロールしたいのか、表出の怒りをコントロールしたいのか。
あ、どこぞの市長の話。
怒って見せて他人を思い通りに動かそうとするのは、クレーマーと一緒でみっともない。
心でどう思ってようが、態度で怒ってみせた方が我が通せるという経験則だろう。
怒ってるのに怒ってないふりして、優しく言っても誰も聞いてくれないんだよ。
他人を思い通りにしたいが為に、怒りという態度を都合よく利用するのは卑怯だな。
怒った方が得するってのはズルいな。
うらやましいな。
あたしはそれがわかってはいるのに、自分でみっともないと感じてるから出来ない。
だからあたしは、表出の方の怒りをコントロールして、怒ってなくても怒って得したい。
怒らないコントロールじゃなく、怒ってみせるコントロールを恥ずかしげもなくしたい。

そして感情の方の怒りは、やはり他人を思い通りにしたい感情だ。
思い通りにしたい感情の結果、思い通りになるかなと思って怒鳴る。
この原因と結果がつながってしまってる人は、どっちの怒りなのか区別ついてないだろう。
そういう人はもう怒りの感情をコントロールしなければ、表出もコントロールできない。
あたしはどんどん他人を思い通りにすることを諦め、見下し、もう全然怒ってないわ。
たかが人間に何を言っても無駄だろうって強く思っちゃってて、感情で怒れない。
人間だって、自然災害に家族を殺されたら、言葉の通じない自然災害に怒らないだろ。
代わりに自然災害を防げなかった自治体とかに怒って言葉で八つ当たりするじゃない。
あたしにとって人間達は、自然災害と同じ言葉の通じない相手に分けられるようになった。
犬畜生に言葉が通じなくても当たり前、ぐらいの見下し方をしてしまっている。

いちいち怒るには、怒って良かったなと言う何か得する経験が必要なんだよな。
怒っても無駄だったという経験ばかり増えれば、そりゃ怒る気もなくなるよ。
どこぞの市長はやっぱり、怒れば怒っただけ得して生きてきたんだと思うよ。
思い通りに出来ると思うから怒りの感情が芽生える。
思い通りになるわけないと諦めてたら怒りの感情はない。
そして、相手をちゃんと平等な人間として尊重し、期待してるから怒ることが出来る。
あたしのように人間をゴミだと思ってたら、ゴミ箱に向かって怒るわけないだろ。
だからつまり、その市長はいいやつなんだよ。
いわゆる本音をぶつけて話し合えるやつなんだ。
そういう人が市長をやるべきだし、アンガーマネジメントはくそ食らえって事よ。

グレタトンベリさんも、人類を信頼して期待してくれてるから怒ってるんだ。
おまえらも頑張れば出来るはずだってね。
あたしは人類に地球を守ることは出来ないだろうと見下してるから、何の怒りもない。
そりゃ当然滅ぶしかないだろなって思ってる。
自分で努力する気も他人にさせる気もない。
他人を思い通りに動かせるという期待が怒りの感情になるのよ。
あたしみたいに怒らないやつはもう死んだ方がいいのよ。
これから生きていく人間は、怒りをコントロールしないでどんどんぶつけたらいい。
殺し合えばいい。
殺して思い通りにしても話して思い通りにしても一緒で、ただスピードが違うだけだ。
怒って殺し合って進化していけば、結果的にもっと繁栄するだろうよ。
怒らないってのはほんとに死ぬしかないし滅ぶしかない。

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