悪いことは見せないという教育方針
ある芸人が、ドーピングを許すオリンピックも見てみたいって言った事がある。
もしそれが実現したら、ドーピングしないオリンピックより記録は伸びるはずだよな。
現在のドーピング技術は、強化する事より隠蔽することを優先して開発されてるだろ。
これが解禁になったら隠蔽を気にせずに強化だけを目的にした優秀な薬が出てくる。
ドーピングしてる人としてない人で、記録に大きな差が生まれてくるはずなんだ。
スポーツを見る側としては、より速い方、より高い方が面白い訳だ。
球技だって安全な軟式ボールより、よく飛ぶ硬式ボールの方が人気が出る。
ドーピングしてよい競技は派手になり、しちゃいけない競技は地味になってしまう。
子供達が憧れるのはもちろん派手な方で、みんなドーピングありの方になりたがる。
若い頃からドーピングを意識したトレーニング、もしくは早期ドーピングに移行する。
それで良いのか悪いのかは意見が分かれるだろう。
その提案をした芸人が今度は、薬物を使用して映画に出るのはドーピングだって言った。
自分が作る側として、薬物を使う事によって作られた映画は公開したくないってさ。
それもわかる話で、これを許したらドーピング役者に子供は憧れるって事になるよ。
他人事として、スポーツはドーピングしたバージョンも見てみたいと思ったんだろ。
いざ自分の仕事と関係したら、やっぱりドーピングしたバージョンはダメだと思った。
たぶん今なら、スポーツのドーピングもダメっていう意見じゃなかろうか。
スポーツでドーピングをして、してない人より記録が伸びるのは科学的に明白だ。
しかし、映画でドーピングをしたら良い物が撮れるとは限らない。
音楽でドーピングをしたら良い物が作れるとは限らない。
でも芸術分野では、ドーピングしてない人とは異なった感性の作品が期待出来る。
良いか悪いかではなく、個性を出す事は出来るかも知れない。
知らんよ、例えば痛み止めや風邪薬でアートが変化するかどうかもわからんよ。
どんな薬物を使えばアートとしてのドーピングが出来るかわからんけどさ。
薬物を利用して作った映画に強く憧れる人ってのは必ず出てくる。
この映画のこの人が薬物で逮捕された、っていう情報を集めて好んで見るだろう。
あたしも槇原敬之が逮捕された時、ハングリースパイダーは薬物で作ったと感じた。
あいつは薬物で蜘蛛の幻覚が見えたんだと、当時は納得出来ていた。
じゃあやっぱり一定数は、将来は蜘蛛の幻覚を見る方になりたいって思うだろう。
幻覚が見えない方のミュージシャンより、見える方が格好いいって思うはずだ。
と言うわけで、ドーピングした人の活動を子供の目に触れないようにしたいんだな。
あたしに言わせたらそれはエロ本と一緒だ。
「見たい」「見たくない」じゃなく「見せたくない」でいろんな規制を作っている。
見ない権利は主張できるが、見る権利を奪う権利の主張はやりすぎだ。
権利っつーか「見せたくない」はただの恥が動機だよな。
大人の「見せたくない」は恥。
やましいこと。
すなわち現実。
子供に真実を見せないこと、嘘を教えたいのが「見せたくない」の本音。
ドーピングもコカインも大人の恥を「見せたくない」という真実の隠蔽が働く。
大人は見ても良いけど子供が見るなみたいに言ってる人が悪質。