面白さを持続する
マンガのヒカルの碁の登場人物は、負けをあまりにも恐れているように見える。
一度でも大敗するくらいなら、囲碁自体をやめてしまおうという勢いだ。
例えば塔矢アキラは強すぎるから、同年代の子供の芽を摘まないよう、大会には出ない。
別に天才少年に負けて、自分が天才じゃないからやめるって子を引き止める必要はないだろ。
天才少年とはいえどもまだアマのくせに、そこまで配慮するほど、囲碁の負けはイヤなものなのか。
左為も相手によって打ち方を変えるし、イジメの碁を打つ登場人物もいる。
強いやつに打つかと言われ、ビビって身を引くやつもいる。
負けるのがわかってても本気で打つ方が楽しいんじゃないのかと、そういうシーンの度に思った。
確かに負けはイヤだけれども、いつも勝つわけないんだから、負けを恐れてゲームを楽しめないと思うが。
それどころか、負けるからこそ勝てばその反動で面白いんであって、勝ってばかりは逆につまらないだろうが。
ということで、勝ったり負けたり出来るような囲碁ゲームがあれば嬉しいのだが、
残念ながら、負けたり負けたりしかできないゲームしか持ってなくて、面白くなくなってきた。
PS版ヒカルの碁を、自力ではなくパソコンゲームに戦わせてストーリーを進めていると、
自分は一切負けることもなく、負ける悔しさを味わう事なく、種類の違うCPU同士の対局が見れる。
当然、勝つ喜びもないわけだけど、見て楽しむという役割は果たしていて、まだ当分いける。
むしろ、勝ってないCPUに挑んで待ったも検討も出来ずに次に進むよりはずっと面白い。
ストーリーを進めたくてやってるわけだから、当然パソコン側を応援して見てるわけで、
パソコン側がほぼ勝つので、自分じゃないけど応援してる方が勝って悔しくない。
ゲームに勝てないばかりじゃなく、合間の勉強会的な所で出される問題も、19路で意味がわからない。
ある程度ゲームが進んで、塔矢アキラの指導碁ってのが出現するのだが、これも全然ついて行けない。
このゲームは左為のチュートリアルがついているけれども、それを覚えてもまだゲームにならないわけで、
脱初心者という部分のケアはやっぱり難しいものなんだろうな。
趙治勲のたちまち強くなる本を読んでも強くならないし、勝てる相手がいないから面白くない。
本当にこのままじゃやめてしまいそうだ。
死にかけてる人には応急処置が必要なように、とにかく今すぐ面白くなる方法を見つけないとやばい。
何をやったら面白くなるかを自分で考えるのはやめて、「囲碁 面白く」でググった。
三年でようやくコンピューターと対等になった話が出てきて、逆にやめたくなったのだが、
やる気があれば一年で段取れるという囲碁ブログも出てきて、面白くなりそうに思えてきた。
このままコンピューターに全く勝てないまま、負けても待ったして検討しつつ、問題でも地道に解き、
孤独に続けていけばいつかはチョッピリ強くなれるような気がしてきた。
それまで続けるためには、勝利以外の面白さを見つけないとダメ。
勝てる相手がいなくても、いつか勝てるようになると信じて続けられる面白さを探さないと。
普通の人は強くなれるかもしれないが、あたしは知能が劣ってるから強くならないかも知れないし。