戒律違反
あたしは理科という宗教にハマっている事を自覚した。
人の体は物質で出来ていて、理科の法則に従って化学変化で動いている。
だから魂だの精神だの死後の世界だの生まれ変わりだのはない。
これはテッテー的に死ぬまで絶対に曲げない信念であり、そこまで信仰心があるともはや宗教だ。
人によって、どんな情報をどんな証拠で信じるかは違ってしまう。
尊敬している人が本当だと言ってることこそが絶対に真実だと信じる人もいる。
あたしはどんなに偉い人の発言だろうが、学校で教えたことだろうが、判断基準に入らない。
理科とかあるいは算数とかを積み上げて、覆しようのない答えが出た物を強く信じる。
すなわちその答えには自分で到達する必要があり、他人に導かれて到達しても意味がない。
解き方がわからない問題の答えだけ教えられても、それを一切信じないと言うことだ。
むしろ問題をとく過程こそが大事で、答えは結果にすぎないぐらいに思っている。
「プロテインを飲むとこうなります」と言うエビデンスはあたしには関心の薄い結果だ。
「プロテインは体内でどう代謝されるか」の道筋に納得したいのであり、エビデンスは答え合わせだ。
答えが違ったら答えが合うまでさらに過程を考察するのであり、過程を飛ばして答えを信じない。
この宗教では、答えよりも解き方を重んじ、自分で解けない問題の答えは信じない事になってる。
たとえ偉い人が出した答えでも、解き方を聞いて納得出来ない場合は信じない戒律がある。
よって、おまじないだの祈祷だの民間療法だの願掛けだのにすがることは戒律違反と言うことになる。
「私は宗教だからこれを信じてるのよ」ってのは個人の自由だから大いに結構だ。
けど自分が良いと思った物はどうしても他人にお勧めしてしまうものだ。
自分にとって良いものでも、他人にとって別に何の効果もない物かも知れない。
それでもいいじゃないかって思ってるはずなんだよ。
他人にお祈りしてあげて、その他人にとって得がなかったとしても損はないと勘違いしている。
プラスにしかならないことをしてあげてるつもりでいる。
けどそれは、その他人が何も宗教を持ってなかった場合の話だ。
自分にとっての正しい行いが他人にとっての戒律違反であった場合は、よかれと思って迷惑をかける。
「私がお祈りしてもあなたの戒律違反になりませんか」と訊く必要があると言うことだ。
で、無宗教だと自覚している日本人には当然、何の戒律違反もない。
よっぽど変な宗教同士が出会わなければ、お互いの行動で利害関係が発生したりはしない。
けど、あたしは先日、自分がとても異端な理科の狂信者であることを自覚した。
あたしにお祈りすることは、あたしの戒律違反に該当し、あたしに迷惑をかけることになる。
ま、別に戒律違反をしてもなんら罰のない宗教だけれども。
罰があるわけでもない戒律をひたすら守り続ける事そのものが理科の宗教だからな。
ぜーったいに死ぬまで厳守したい。
心の底から理科を信仰している。
だから今後、宗教的なことを人に勧められたときに、戒律違反だから出来ないって言うわ。
きっと宗教を勧めようとする人も戒律は大事だから、他人のことも戒律だって言えば尊重できるはず。
相手に何も戒律がないと思ってるからよかれと思って踏み込むのであって。
戒律がある人には踏み込めないよ。
それはよかれと思って食ってはいけない肉を戒律のあるやつに勧めるのと同じだ。
ハラールみたいなのがあるんだなと理解していただければ、少しは遠慮してくれるかな。