宗教も作家のせいで不自然

近頃、アニメやドラマなどのフィクションばっかり見てたので、リアルが新鮮に感じる。
作家が作品のために考えたセリフでは到達出来ないリアルに、今朝感動してしまった。
仮面ライダーフォーゼのヒロインでハヤブサ君ことまれのイチ子は注目していた。
注目していた割に清水富美加と言われてもピンと来ないレベルだけどね。
その人が出家するニュースで持ちきりだが、直筆メッセージに感動した。
これぞリアルって、普段リアルから遠ざかっている事を自覚してしまった。
テレビのコメンテーターはこれを残念だ、反対だ、などと出家にばかり言及してるが、
あたしにとっては他人だしどうでも良いせいで、賛成も反対も全くない。
単に、直筆メッセージにリアルを感じたということだけ。
フィクションでは、誰がどんなセリフを言おうが、全て作者の思惑でしかないじゃん。
何を言っても、現実の人間なら言わない不自然さを感じるんだよ。
どんな面白いフィクションを見ても、作者が人間の仕組みを知らない事に軽蔑する。
ストーリーを先に進めるために、人物が不自然なセリフを言う事に違和感を感じる。
今回のイチ子が、フィクションには登場しないメッセージを出した事がとても爽快だ。
いや、本人が文章で伝えたいことではなく、文章の書き方、言い回しが面白かった。
その話を書くよ。

二つあるうちの一つは冒頭、「突然に、本当に突然に」ってところ。
通販番組で「本当に効く」など、なぜかみんな「本当に」を使う事が気になってた。
言葉の意味は「嘘じゃなく本当」っていう意味だけど、使い方はそれじゃないよな。
誰も嘘で突然だとはいってないし、嘘の突然なんて物はない。
この場合の「本当に」は、一番言いたい単語を無意識に強調したんだよな。
なぜイチ子が突然と言う言葉を繰り返して、しかも強調のために本当にをつけたのか。
つまり本人は、やめることではなく突然だと言う事だけを話題にしたかったの。
突然を強調したいんじゃなく、それ以外のことには触れられたくもないんだわ。
謝罪はしてるが、やめることは謝罪せず、突然なことを謝罪したいんだよ。
確かにやめるのは自由だし、誰にも何も言われる筋合いはなく、
突然である事は謝っておいた方が良い事だし、その気持ちがこの「本当に」にでてる。
たった一言「本当に」だけでここまで出来るのはリアルにしかない。
フィクションだとここまで巧妙に、言葉の端々まで人間の気持ちを表現出来ない。
いくら名作だの文学だの言われても、バカがバカを誉めてるだけで、真実とは違う。
リアルだとこの「本当に」の位置で、フィクションでは不可能な気持ちが出せる。
突然であることだけを謝る謝罪文を、直接そう言わずに書ける作家はいないだろ。
そこがリアルの面白いところだわ。

もう一つは終盤「信じる」ってところがサイコーにリアルを感じてスカッとした。
これは殺人犯の母親が「息子を信じる」って言うのと一緒なのよ。
証拠があろうが逮捕されようが本人が認めようが、息子は無実だと信じるのよ。
これは信じるじゃなくて願う、もしくは逃避するに近い表現なんだよ。
息子が無実であるという情報のみ聞き入れ、そうでない情報はいらないという宣言だ。
多くの人は「信じる」と言う言葉を綺麗な事であるかのように感じているだろう。
確かにその通りで、綺麗でないことを綺麗に表現したのが「信じる」だ。
もう他人に対しては聞く耳など持ちませんよって事を、綺麗に言うと「信じる」だ。
何か信じられたらもう、誰がなんと言おうが全て無駄で、会話など成立しない。
このイチ子の場合も「信じる」からもう自分には話しかけても無駄だよって事だ。
息子の無実を信じる母親は宗教ではないけど、信じてしまったら話しても無駄だ。
自分からそうなるよっていう宣言を、「信じる」で表現出来る作家はいないだろ。
リアルとはほど遠い表現を使うか、作家の言いたいことをまんま書いちゃうかになる。
だから久しぶりのリアルを見て、リアルでしか出せない言葉使いに感動したのだ。

この二点をまとめると、突然である事は詫びるが、反対意見を聞く気はない。
出家するしそれに反対する意見は聞かないし、でも、突然って事だけは悪かった。
そんな内容を作家に書かせたら、人間の仕組みを知らないからこうはならないだろ。
いや、あたしが感動したのはこのたった二点のワードのみだし、
それ以外の部分が作家によって書かれたものだとしても知らないよ。
宗教も味方だしあり得ないことではない。
素直にあたしはこの二つのワードのみに感動し、アニメ見すぎてたことを自覚した。
とにかくメッセージがとっても面白かった。
この人が過去に女優として出演したフィクションも楽しめた。
女優ではなくリアルの人間としての今回のメッセージはもっと楽しめた。

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