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去年はサプリにハマって、様々な栄養をサプリに頼るようになった。
こうなっちゃうと、サプリを飲む前の食生活が不健康に思えてくるわけだ。
実際に亜鉛不足になってたみたいだしさ。
たぶん日照不足でビタミンDも不足していたことだろう。
食物繊維の不足で腸内細菌が働いてくれず、色んな病気を悪化させてたに違いない。
今はサプリのおかげでどうにか健康だが、やめたらいっぱい病気しそうで怖い。
ポックリ死ぬのは歓迎だが、病気なのに死ねない状態になるのが怖い。
これはサプリの依存症なのかというと、サプリじゃなく栄養の依存だ。
別に栄養を補うためにサプリじゃなきゃダメって事はない。
もともとどんな食生活なのかで人によって違い、サプリがいらない栄養だってそれぞれ違う。
あたしは好きなものだけ食う代わりに、じゃぁ何が不足するか逆算してサプリを利用してるだけだ。
サプリに依存してるのではなく、サプリを利用して食生活を組み立てている。
日本人には健康食品や漢方薬が浸透しているせいで、サプリもその類のものだと思われがちだ。
そう言う物であれば、たくさん飲んでれば依存症であり、無意味だから全部やめた方が良い。
あたしが利用してるのはそれらとは違う、何にも効かないただの栄養だ。
効くと思って騙されて買ってたらサプリの依存。
栄養だとわかって補給してるから栄養の依存で、錠剤やカプセルにこだわってはいない。
つまり、食事のメニューを選ぶときにビタミンだのミネラルだの気にしすぎる人こそ、あたしの同類だ。
あの栄養もこの栄養も絶対必要だと思い込んで不自由になってるところは一緒。
それを食事で摂るかサプリで摂るかだけが違う。
自分がサプリで健康になったつもりなので、他人の不健康もサプリが必要だろうと思えてくる。
年をとるとほとんどの人は、どこかに不調を抱えているものだ。
持病を持ってるかも知れない。
そう言う人が、あたしのようにサプリにハマれば解決するかも知れないと思っている。
あたしが亜鉛不足だったから、じゃあ他の人もマネして亜鉛を飲めば良いという訳ではない。
あたしとは違う食生活で、あたしとは違う不健康を抱えてたら、そりゃ解決法も違うだろう。
それぞれ自分に何か不足してる栄養がないか、突き止める必要がある。
あたしが他人の食生活なんて見てないので、何が不足してるかはわからない。
ただ、そうだとしても日本人である限り、日本人らしい生活をしてたらたんぱく質は不足してる。
間違いなくあの人もこの人も、米さえ食っとけば生きていけると思ってる。
防災グッズにカロリーメイトが入ってて、これを食っとけば栄養バランスは大丈夫だと思ってる。
おにぎりでいいや、パンでいいや、一杯のかけそば、そう言うので生きていこうとしている。
いわゆる主食と言う言葉が存在するせいで、何か主食になる物を食えば大丈夫だと思ってる。
主食は安価な保存食の事であり、栄養バランスが良い訳ではない。
主食と呼んでるものこそカロリーしか入ってない最もジャンクなフードだ。
日本人でなおかつどこか不調の人を見ると、そう言う物を食ってるからじゃないかと思ってしまう。
ジャンクフードを食べると不健康になると主張する人はいるが、主食こそジャンクだと主張したい。
日本人がせめてプロテインを朝飲めば、様々な不調が改善するんじゃないかと思ってしまう。
そしてプロテインにプラスして、ビタミン、ミネラル、食物繊維を摂れば安泰だろうなとも思う。
それらさえ摂取しとけば、それで食費が消えたとしても、じゃぁおにぎりやパンなど主食を削れと。
カロリーだけのジャンクに金かける方がもったいない。
そういう方向の行きすぎたやつがちょうど今のあたしの食事に近いわけだが。
ついつい、これこそ理想の食事だと思い込んで、そうでない人の食事に口出ししたくなってきた。
まぁ、人間ごときに無料で教えてやるのはもったいないんだと自分に言い聞かせればいいのだが。
また、自分が他人に口出しするのも迷惑だが、他人の勧める食事を食わないのも迷惑だろ。
あたしは自分に必要な栄養をサプリで摂ってる安心感があるから、勧められたら何でも食える。
栄養を気にしすぎて食べられなくなったものとかはない。
普通に好き嫌いで食わない物はいっぱいあるけど。
マッサージガンの出番が全然なくなるほど、どこも痛いとか凝ってるとかがない。
暇さえあればどこかにブイーンとやってたのに、今はあてがいたい場所がそもそもないんだよ。
せっかく万病に効くと思って気に入ってるアイテムだから、どこか痛んで欲しいくらいだ。
6千円のやつだから良かったけど、2万円のやつだったら元が取れなくて自らケガしてたかも知れない。
そのくらいどこも痛くなくて良かったんだけど。
どこも痛くないってのは間違いなく、どこも追い込まない楽な筋トレをやってるからだ。
今追い込まなければ夜にもう1セット出来るぞぐらいの気持ちで、朝は余裕で終わる。
んで実際に楽してるせいで朝練だけじゃ物足りなくて、夜練もやる習慣になった。
そして夜練も楽しないと翌日の朝練が中止になるかも知れないと思って、余裕を持って終わる。
パンプ感で満足はしてるが、十分に追い込んでないから毎日出来そう。
このやり方で確かにどこも痛くなってないよ。
けどこんな調子で筋トレとして成立してるのかいなと思ってしまう。
いや筋肉痛にはなるんだけど、意識して筋肉痛かなぁと確かめないとわからない程度だ。
痛めるのと筋肉痛の境目くらいのが尾を引くぐらい、しっかりどこかを追い込みたい。
非常に物足りないから、どこかのタイミングでまた三分割を導入していきたい計画ではある。
でも一生続けるのであれば、物足りないけどケガしない全身法で我慢すべき。
まぁ、今後は自分の体力とも相談し、どんどん変化させるかも知れないな。
筋トレは多くやればやる方が良いのかという議論はあるわけだ。
近頃はオーバーワークという単語がYouTubeで流行ってるので、ついついその基準で考えてしまう。
やり過ぎは良くないかどうかと言う話ばかりに注目させられていた。
そうじゃなく今あたしはやらな過ぎは良くないのかという、全く逆の問題を考えている。
やり過ぎは当然良くないと言われてたけど、たまにやり過ぎるくらいが良いかもしれない。
じゃぁやらな過ぎも当然良くないと言われるだろうが、たまにやらな過ぎはどうなのかなと。
それってつまりたまに休めとか、たまに低重量でやれとか、そっち方面なんだと思う。
あたしは今どこも追い込んでないけど、追い込まない期間と追い込む期間があってもいいのかなと。
いやもちろん良いんだけどその理由付として、休むためじゃないのよ。
わざと刺激を変えるために、追い込まない週と追い込む週を用意するのがありなのかと思った。
叫ぶために息を吸うように、笑うために泣くようにって事よ。
休む必要がないのにあえて休む事で、筋トレの刺激が強化されるかもと言うことを考えてる。
休めってのは休んでる間に成長するんじゃなく、休んでふぬけさせ衰えさせるためで良いと思う。
例えば病気で休んだから、それを取り戻すんだという意気込みでしばらく無理するわけだ。
その無理は、病気をしてなかったらやろうと思わなかったわけでしょ。
そう言うアクシデントの波を自分で用意するための休みもありかもしれない。
で、あたしの場合は追い込まない期間で不安になって、もっと追い込みたくなるかもしれないし。
ただ、性格的な問題で変化が嫌いだ。
筋トレは変化させることで新しい刺激を入れるってのが基本中の基本だろうよ。
だのに変化が嫌いで、自分に合ってる唯一の答えを探し、それをずっと継続したい。
変化したくない。
この辺からしても向いてないのにやってるんだなと思う。
普通は向いてない人はすぐやめるんだけど、あたしは筋トレじゃなく薬物が向いてるので続いてる。
体育は大嫌いで理科で筋トレをしている感じ。
薬物が入手出来なくなったらすぐやめるだろう。