負担減ではなく負担ゼロが大事

近頃は朝4時半に起きて5時半から筋トレしている。
少し早く起きれば少し多く筋トレできると言うことで、これは全然負担になっていない。
世の中には筋トレが続かなくてやめちゃう人が多いけど、負担が大きいほどやめたくなると思う。
だからあたしの優先事項は、負担をより小さくすることで一生続けられるようにする事だった。
負担を小さくするために最も重要なのは短時間で終わらせることなので、それはこだわってきた。
ところが今はもっとやりたくて、結局、早起きしてでも筋トレ時間を増やすことにした。
しかし今のところ筋トレは遊びの時間なので、遊びの時間が長くなっても負担ではない。
これがいつか遊びの時間ではなく努力の時間だと感じるようになると負担になる。
どんなに短時間に削っても、少しの努力は少しの負担だ。
そこに気がついたら、じゃぁ目標は負担を減らすことではなくゼロにすべきだと思い始めた。
どうやったら将来の自分も負担ゼロで遊び続けられるだろうか。
かつて、プロホルモンが買えなくなったときに、筋トレするのが面倒になって挫折したことがある。
そのときのことを思い返すと、やってもやらなくても大差ないと思ったから面倒になった。
やればやっただけ差が出るよと言う状況だと、面白くてもっとやりたくなって挫折しない。
そう言う状況を目指したいけど、いつか、これ以上は伸びないなと感じる日が来るだろう。
おそらくナチュラルだとその日は早くやってきてしまうが、薬をやってもいつかは伸びなくなる。
伸びなくなっても楽しく負担ゼロで遊んでられるか心配だ。

あたしの目標は非常に低く、老いても生活に必要な筋力を維持し糖尿病や人工透析を避けることだ。
見た目を良くしたり他人と競いたいとは全く思わない。
もともとがポンコツなので人並みまで鍛えられたらたいした物だと満足できる。
ところがそれで満足してしまったら、それ以上の筋トレは不要だと思ってしまうはずだ。
人並みまで達したら次は人には出来ないことを目指すなり、満足しない欲望が必要になる。
今回、より早起きして筋トレの時間を増やしたように、少しずつハマっていくかも知れない。
少しずつハマっていかないと興味を持続できなくてやめちゃうかも知れない。
今のところは合法な範囲の薬が最大のモチベなので挫折しそうもない。
他の人はやってないような薬の飲み方をしてる事に面白さを感じてしまってる。
今年は年間300日以上は薬を飲む予定になるんだなと思うと、遊ぶ意欲がみなぎってくる。
薬のせいで死ねば、まぁ死ぬまで筋トレが継続したと言うことで目標達成だし、それも全然いい。
死ななきゃ死なないで、死んでないことが面白くて継続できそうな気がする。

そういうわけで薬さえやっておけば、いつまでも負担はゼロでいられるかと思う。
薬があるうちは筋トレを遊びとしてやっていけるはず。
法律が変わったりして入手できなくなったら何か別のモチベーションが必要になるが。

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