治療したいのにケガしない

マッサージガンの出番が全然なくなるほど、どこも痛いとか凝ってるとかがない。
暇さえあればどこかにブイーンとやってたのに、今はあてがいたい場所がそもそもないんだよ。
せっかく万病に効くと思って気に入ってるアイテムだから、どこか痛んで欲しいくらいだ。
6千円のやつだから良かったけど、2万円のやつだったら元が取れなくて自らケガしてたかも知れない。
そのくらいどこも痛くなくて良かったんだけど。
どこも痛くないってのは間違いなく、どこも追い込まない楽な筋トレをやってるからだ。
今追い込まなければ夜にもう1セット出来るぞぐらいの気持ちで、朝は余裕で終わる。
んで実際に楽してるせいで朝練だけじゃ物足りなくて、夜練もやる習慣になった。
そして夜練も楽しないと翌日の朝練が中止になるかも知れないと思って、余裕を持って終わる。
パンプ感で満足はしてるが、十分に追い込んでないから毎日出来そう。
このやり方で確かにどこも痛くなってないよ。
けどこんな調子で筋トレとして成立してるのかいなと思ってしまう。
いや筋肉痛にはなるんだけど、意識して筋肉痛かなぁと確かめないとわからない程度だ。
痛めるのと筋肉痛の境目くらいのが尾を引くぐらい、しっかりどこかを追い込みたい。
非常に物足りないから、どこかのタイミングでまた三分割を導入していきたい計画ではある。
でも一生続けるのであれば、物足りないけどケガしない全身法で我慢すべき。
まぁ、今後は自分の体力とも相談し、どんどん変化させるかも知れないな。

筋トレは多くやればやる方が良いのかという議論はあるわけだ。
近頃はオーバーワークという単語がYouTubeで流行ってるので、ついついその基準で考えてしまう。
やり過ぎは良くないかどうかと言う話ばかりに注目させられていた。
そうじゃなく今あたしはやらな過ぎは良くないのかという、全く逆の問題を考えている。
やり過ぎは当然良くないと言われてたけど、たまにやり過ぎるくらいが良いかもしれない。
じゃぁやらな過ぎも当然良くないと言われるだろうが、たまにやらな過ぎはどうなのかなと。
それってつまりたまに休めとか、たまに低重量でやれとか、そっち方面なんだと思う。
あたしは今どこも追い込んでないけど、追い込まない期間と追い込む期間があってもいいのかなと。
いやもちろん良いんだけどその理由付として、休むためじゃないのよ。
わざと刺激を変えるために、追い込まない週と追い込む週を用意するのがありなのかと思った。
叫ぶために息を吸うように、笑うために泣くようにって事よ。
休む必要がないのにあえて休む事で、筋トレの刺激が強化されるかもと言うことを考えてる。
休めってのは休んでる間に成長するんじゃなく、休んでふぬけさせ衰えさせるためで良いと思う。
例えば病気で休んだから、それを取り戻すんだという意気込みでしばらく無理するわけだ。
その無理は、病気をしてなかったらやろうと思わなかったわけでしょ。
そう言うアクシデントの波を自分で用意するための休みもありかもしれない。
で、あたしの場合は追い込まない期間で不安になって、もっと追い込みたくなるかもしれないし。

ただ、性格的な問題で変化が嫌いだ。
筋トレは変化させることで新しい刺激を入れるってのが基本中の基本だろうよ。
だのに変化が嫌いで、自分に合ってる唯一の答えを探し、それをずっと継続したい。
変化したくない。
この辺からしても向いてないのにやってるんだなと思う。
普通は向いてない人はすぐやめるんだけど、あたしは筋トレじゃなく薬物が向いてるので続いてる。
体育は大嫌いで理科で筋トレをしている感じ。
薬物が入手出来なくなったらすぐやめるだろう。

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