ずっと子供に伝えたかったこと
進学でも資格でも試験があるわけで、試験対策の勉強方法には自信がある。
だって、去年の合格基準と今年の合格基準と来年の合格基準はほぼ一緒だろ。
試験範囲もほぼ一緒。
どんな問題が出てどの程度までできれば合格するのか、やる前からわかってるじゃん。
出題されない自己満足の勉強を省略し、テスト対策だけ効率的にやれば良い。
自分が自信を持って他人に指導出来ると思ってる事がこれなんだわ。
だから我が子が将来、試験で勝ちたいと思ったら指導してやろうと思ってたんだよ。
あたしなら、どんな負け戦でも勝ち戦に逆転できる自信がある。
ところが、あたしの指導なんか必要なく、去年くらいから学年トップで慢心している。
部活動を引退し、よその子は全員塾で課金してるのに、自分だけは無課金で戦うらしい。
まぁ、受験なんて、トップ通過しなくてもギリ通過でも合格は合格。
そのラインまで達することが出来るなら課金は不要だよね。
もちろん、あたしの最も自信を持っている受験のノウハウを聞く必要もない。
だのに、課金勢の追い上げと無課金での作戦について、ついつい無駄に話したわ。
あたしはたかがテクニックで試験をパスし、本当の実力を誤魔化して生きてきた偽物。
その偽物のくせに、本物がテクニックに頼らず試験に挑む事に意見を述べてしまったわ。
子供のためではなく自分の言いたいことを言ってスッキリしたって感じだね。
学校の勉強に関しては、いくつかの自己満足で発言したポイントがこれまであった。
「他人に勝てる物が何かあれば人生は面白いよ」ってやつは言ったな。
例えば野球はやる人もやらない人もいるから、一部の人にしか勝てない。
でも勉強は全員やるんだから、勉強で勝てば全員に勝って満足度が高いよって言った。
まぁ、その頃は何も開花してなかったから、何か勝たせて生きがいを持たせたかった。
それが中一の最初のテストで、一番仲いい友達が1位だったという話を聞いた日だな。
それと、「なぜ勉強をするのか」の答えを確定した。
社会は人材の選抜に何かしらの目安を求めている。
医者に向いているか向いていないかを、医者になる前からは見分けることが出来ない。
医学部の試験で、人の腹を切らせて上手さを競わせる訳にはいかない。
だからって無差別に全員を医学部で学ばせる訳にもいかない。
野球で勝負をするより、マリオカートで勝負をするより、もっとマシな物はないか。
その現時点での大人達の答えが、学校でやってる勉強だ。
やれって言われたことをどの程度達成できるか、あえて差が付くように難しくしてる。
みんなが満点の楽な問題じゃ人材を選別できないからな。
つまり、本当に必要な知識だけを教えているわけじゃない。
要らないことまで教えて、その要らないところで点差が開くように仕組まれている。
そりゃ勉強に疑問を持つよな。
結局、うちじゃ真っ当に勉強すべきという話をしていない。
社会のルールで全員やらされてる悪しき勉強でも、勝てば楽しいし得もする。
だから「やりたきゃやりたまえ」のスタンスで来た。
自分の意思以外で学校の勉強をやる必要はない。
だから今も、親が課金してまで子供を勝たせようという方向へは行かない。
子が無課金でゲームを攻略したいって言ってるのに、余計なお世話だ。
自力で楽しんでる人に不要なアドバイスをする外野こそ不要だ。
この分野は任せろって思ってたので、ついつい、ホントに余計なことを言ってる。
負けたら負けたで本人の糧になることを考えれば、親って邪魔でしかない。
先にネタバレを言ったり、勝たせたくて我流のアドバイスで惑わせてるにすぎない。
ましてや勝手に課金して人生をイージーモードに変更してあげる必要はない。
ホントにただ、子供のためじゃなく、言いたい自己満足を果たしただけ。
こうなる前に早死にすべき。
ただしPTA役員の座だけは下の子が受験するまで死守したい。