右脳と左脳

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よくある診断で指を組むのと腕を組むのとで、どっちが上になるかを組み合わせ、
四つの性格に分けるっていうのをテレビとかでも見たりするわけだが、あれには納得いかない。
あたしの場合、カラテとかしてた頃に左手で箸を使う訓練をやったりはしたものの、
それでも体は完全なる右利きで、指を組むのも右が上なのだが、腕組みだけは左が上だ。
しかしこれは全く不思議なことではなく、右利きだからこそ右手が先に動き、
右手で左上腕を掴むと、左手は下からより上からの方が組みやすく、別に左が利いているわけではない。
逆に左手が不器用すぎて、下から潜り込ませて上にからませる動きをさせにくく、しょうがなく上にしてる感じ。
だから要するに、この腕組みが脳のタイプを決めるという判断はあたしには当てはまらないと思うんだ。
よって、組み方は右と左の組み合わせであるにもかかわらず、結果はどっちも左脳を見た方が良いような、
素直に自分がどのタイプかを割り切って見れないのが実情。

という話をするのは、囲碁が右脳でやるゲームだと強く実感したからだ。
いま、色々と本を読んだりして、理詰めで覚えようと必死になってはいるけれども、
この方法ではなかなかうまくならないだろうなと悟っている。
かといって理論ナシで強くなれるとも思わないから本はいくらでも読む気だがな。
しかし今身につけたい技術は、あきらかに経験の数でしか伸ばせないものだと確信している。

よく、勘というものは根拠のない思いつきのようにバカにされるけれども、あたしはそうは思わない。
これもやはり格闘技をやって感じたことだが、経験に基づかなければヒラメキすら出てこない。
とにかく技を反復練習して体で覚えることで、戦いになった時に適切な技を瞬時に繰り出す事ができる。
このシーンでは何をすればいいか、なんていちいち考えていられない場面では、
何事も勘で行動するしかないわけだが、その勘は反復練習でしか身につかない。
音楽のセンスも、音楽を聴くことで蓄積された経験から生み出される。
聴いてない音楽について良い判断が出来たら、それこそ当てずっぽうであてにならないわけで、
当てずっぽうがあたるかどうかを考えることの方が無駄だ。
よって、勘とかセンスの根拠は経験であり、より多くのより良い経験によって養われ、
養われると理論を省略して正しい判断が出来るようになる。
だから囲碁をやる上で、経験を積むことで勘を伸ばすことが一番重要だ。

ヒカルの碁に出てきた本因坊のジジィは、勘でヒカルの才能を見抜いたが、
若手にはそういう勘がなく、ジジィなら勘が働くというのは非常にうなずける。

単に多く経験すればいいのではなく、経験をどのように理解できたかも重要で、
例えば敵のやって来た攻撃に何の意味があるかも分からなかった一局より、
それが攻撃だと分かって戦った一局の方が経験値がたまるというもの。
だから先に本を読んで、ボンヤリした対局ではなく理解できる対局が出来るようになりたい。

というわけで、あたしが目指すのは左脳で先に理解して右脳で戦うタイプの囲碁だ。
それは指を組むと右が上で、腕を組むと左が上になるタイプの考え方になる。
最初に戻ると、その診断はあたしの性格を正しく表していると認めざるを得ない。
左半身は全然利いてないのに、左が利いているかのような診断に当てはまってしまい、大変悔しい。

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