平等の悪用

「男の人だけずるい」って良く聞くけど「女の人だけずるい」は聞かないよな。
これは例題にすぎない。
ここで問題視したいのは、ずるいからどう是正したいのかの部分だ。
ずるいから、男の行動に制限をかけることを望んでいるのか。
ずるいから、女の行動から制限を取りはらうことを望んでいるのか。
自分は我慢しているのに相手は我慢していない。
だから自分と同じくらい我慢しろ、もしくは自分も我慢しない。
大変まっとうな理屈だが、それはあらゆる人間が同じである事を理想とするものだ。
じゃぁ結婚したくても出来ない人がいるのに、先に結婚した人もずるい事になる。
クジを引いたら全員同じものが当たらないとずるいことになる。
ずるいとしたら「俺とおまえと同じ量の我慢をしようぜ」と約束していた場合だ。
二人合計でより生産性を上げるためには、二人の間で争ってると効率が悪い。
同じ量の我慢にこだわるよりも、どっちかが我慢したとき生産性が上がる方が良い。
まぁ、これは効率にこだわった場合でしかないよ。
なんにもうまく行かなくても、とにかく同じ、平等が絶対欲しい人もいるもの。
自分より幸福な人間が一人もいなくなれば、自分が一番幸せだもの。
二人合計の生産性が上がっても、自分より楽してる人間がいたら気に入らないもの。
それが男と女だけじゃなく、全国、全世界で、ずるいずるい言い合って効率悪いなと。

男がやるのに適した物を、女もやらなきゃ平等じゃないっつって効率悪くする。
女がやるのに適した物を、男もやらなきゃ平等じゃないっつって効率悪くする。
適してるかどうかが昔ながらの偏見だった場合、これは差別としてなくなってる。
あ、でも差別はなくならないし、なくそうって発想自体がなくならない証拠でしょ。
犯罪をなくそうとか、いじめを無くそうとか、なくはならないからずっと努力する。
その努力してなくそうとしてる差別が、ただのねたみな場合を強く感じるわけ。
自分のねたみを平等という言葉で誤魔化して正当化してるって、そこ言いたいわけ。
ずるいずるい言って、妬んでないでどうにかしたら良いじゃん。
そのどうにかするが、そのずるい人の足を引っ張る事じゃ何の意味もない。
自分が得する事を考えろよ。
人に損させても何の意味もないじゃん。

あ、うちじゃこんな会話はないんだけど、テレビで男の人だけずるいって言ってた。
だから女も同じようにしたいって話なら、別に男を引き合いに出す必要はない。
男が何かやってるかやってないかは、女がそれをやるかどうかとは別の話だ。
自分にとって必要なことをやる話に、男が必要でやってる事は無関係だ。
その自分のやりたいことをやる言い訳に、平等であるべきだからって話はずるいわ。
自分の行動理由を美化された言葉で飾って正当化するのに、平等が利用されている。
他人の足引っ張るときも平等って言って、好きなことやるときも平等って言う。
他人は関係ないのに他人を引き合いに出して自分を正当化する。
だから平等って言う言葉を聞いたら、なんか疑うようになってしまった。

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