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2008年 9月 13日 のアーカイブ
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あたしは中学生の時に、記憶術の教材を買ったことがある。
内容的には、頭に時計がぶつかったとか、目にバケツが入ったなど、
頭のてっぺんから足の先までに、色んな物をぶつけて痛い目にあう想像をすることで、
あとから頭は何で痛かったかなと、思い出しやすくなるというものなど。
鼠を牛が踏みつぶした、牛を虎が食べちゃった、虎を兎がけとばした、って感じで、
次々に物語を作って順番を覚えるというのもあった。
記憶術のやり方の解説だけでなく、記憶術を使って学校の勉強を覚える表もセットだった。
でも結局、その技術を身につけるより、たかが中学校で教わる程度の勉強は普通に覚える方が楽だった。

というのも、そもそも記憶術というのは、意味のないものを暗記するために使うものだ。
意味がないものに自分で覚えやすいような意味を考えて作って、
その意味の方を覚えることであとで思い出しやすくする技術なわけで、
最初から意味のあるものはその本来の意味を覚えた方が早い。
義務教育で勉強しなきゃいけないものはたいがい、本来の意味を持っているから、
わざわざ自分で別の意味を作って覚えるのは効率が悪くて当然なのだ。
全く意味がないものや、本当は意味があるけど理解できないものについて、
無理矢理自分流の意味を作って覚える技術なんだな。

囲碁でも、なぜなのかわからないものを大量に暗記するのは難しく、納得できるものは覚えやすい。
棋譜並べで100手以上も暗記できるようになったのは、少しでも意味が分かるようになったからだろう。
分からなくても暗記しようってのを目標にやってきたが、分からないなりに意味を考えないと覚えられない。
プロの着手の意味をアマチュアが考えても分かるわけがないと言われるが、
自分で考えた意味が正解だろうが不正解だろうがどうでもいいのだ。
だって、たとえ理由が不正解だったとしても、理由でおぼえて正解の着手を導き出してるんだもん。
結果が同じになるなら理由が間違っていても問題ない。
すなわち、嘘でもなんでも良いから理由をつけてプロの着手を暗記すれば、
その理由が正しくなくてもプロのように正しい着手が出来るようになるんだよ。
きっと。

分らなくても考えなくても、とにかくひたすら棋譜を並べろと言われると、
それがなんの役に立つのか疑問に思ってしまうけれど、並べろではなく暗記しろと言われれば、
必然的に着手の意味を考えないと覚えられないから、それは自分なりに意味を考えろという指令なのだ。
考えた意味が途中で間違っていても、結果で正解を出せるようになるための訓練が棋譜並べだ。
覚える寸前ではなく、ちゃんと覚えるまでやらなきゃ不十分だ。

で、理由の部分も正解に近付くためには、詰碁でヨミを鍛えておくと。
なるほど、詰碁と棋譜並べをやりましょうで説明つくわ。

今のところ、脳のメモリーがちょっと増設されたようで、治勲対山下148手までと、武宮対加藤149手を、
共に、棋譜を見ないで並べられるようになった。
これ以上覚えるとまた、今まで覚えた分を忘れてしまいそう。