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2008年 9月 22日 のアーカイブ
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NHK囲碁講座テキスト10月号を買った。
9月号までは格言をやっていて、うちには格言ばかりを書いた本がないので、それなりに楽しめた。
しかし、10月号からは定石の講座が始まり、これが退屈でほとんど読んでいない。
あたしは囲碁未来の定石コーナーも退屈で図しか見なかったりする。
これでも定石の勉強が好きな人は楽しめるのだろうか。

どうせ定石の一部を暗記したところで、暗記してない定石が出てきたら対応できない。
そこで、単に暗記するのではなく、意味を考えて覚えることで、様々な状況に対応していく。
ここまでは正論。
でもね、たとえば切断されたくないとか、封鎖されたくないとか、いろんな意図まで辿り着いても、
どう打てばその意図を達成できるかは、身につけた手筋の数が左右するはずなんだよ。
プロは暗記してなくても定石の通りに打てるが、それは莫大な手筋が身についているからだ。
手筋が身についていて、どう打ちたいかという方針に沿って活用出来るようになるのが理想だ。
だから定石は手筋の宝庫だと言われるのだが、だからって定石の講座で手筋は身につくのかが疑問。
手筋をたくさん身につけることで定石が身につくが、定石から手筋を勉強して身につくとは思えない。
逆に、手筋は手筋で勉強して、定石は勉強しなくても対応出来るかも知れないと思っている。

たとえばその10月号についてきた付録「変化球に対応する」では、
相手が定石の通りに打ってこなかった時にどう対応するかの問題集になっている。
その問題集をやってみると、全て暗記してるかどうかではなく、手筋としてどう打つかの問題ばかりで、
身についている手筋であれば、一瞬で一番最初にひらめいた答えが正解だったりする。
その定石を勉強したからではなく、ひと目の手筋とかをやったから、
切りたくなったり伸びたくなったりする状況が多少は身についていて、その通りやるのがほぼ正解。

つーわけで、定石を勉強して手筋も身につけようとするより、
手筋を勉強することで定石の勉強を省略した方が効率が良いんじゃないかと思っている。
しかも、決まった手順で打つだけってのはつまらないし、決まった手順以外に打つのは怖いしで、
定石なんか考えるせいで序盤の面白さが制限されちゃう。

無限の時間があるならもちろん定石も勉強すべきだろうが、限られた時間で勉強するのであれば、
逆に定石の勉強が要らなくなるほどに手筋や死活でもやった方がいいかと。
定石を覚えてないせいで多少の失敗をしても、身につけた手筋だけで出来る最大の事をやってれば、
全くのゼロにはならないし、手筋とヨミの力具合でどんどん定石に近付くだろう。

そう思うと、単純に定石の講座や本って、あまり興味が沸かない。