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2008年 9月 8日 のアーカイブ

レゴがその他の類似ブロックより優れているかどうかは知らないが、
あたしが子供の頃に最初に買ったのがレゴで、それと互換性のないやつを買うわけには行かず、
いまだに我が家にはレゴが山ほどある。
国産のブロックの方が国産の他のおもちゃとタイアップして楽しそうに思えることが多いが、
たぶん持ってるレゴが多すぎて、国産のものに移行出来ないだけだろう。
だから、比較したこともないし、レゴを他人に勧めるほどの理由はない。
その、過去の遺産が、今うちの子供に引き継がれている。

正直、あたしがレゴブロックで作りたいものと、レゴの偉い人の趣味は合わない。
たまに、素人がレゴで作った大作を、レゴの偉い人が褒めたりする事があるのだが、
レゴに褒められる作品は、あたしにとってはブロックの無駄遣いで駄作にしか思えない。
彼らの美学では、実在するものを忠実に再現するため、大量のブロックを使ったものが良作らしい。
たとえば、某スーパーででっかい弘前城を造って展示しているが、そういうのが彼らの趣味だ。
あたしに言わせれば、そりゃでっかく作ればなんでも作れるけれども、それがレゴである必要性すらないだろ。
無駄にレゴを使えばそういうものも作れるが、単純にブロックを多く買う財力に依存すると思う。
財力が無限なら、本物と同じ形を作るのは簡単な作業で、頭も使わないし工夫が感じられない。
そういうことをするためにブロックを買う気は起らない。

逆に、たとえばお城を造るなら、いかに小さく最小のブロックで、お城とわかるものが作れるか。
それなら工夫してどこに特徴を出すかで楽しい。
あとはそれぞれの趣味で、建物が好きとか乗り物が好きとかあるけれども、
あたしはロボが好きなので、最小限に小さいロボを何パターンも作る事が、レゴで遊ぶ目的だった。
レゴで販売されているエクソフォースシリーズのロボは大きすぎな上に、
ロボ専用パーツばっかりでもはやレゴブロックの範疇ですらない。
レゴの人が乗れる大きさじゃなく、レゴの人と同じくらいの大きさのロボを作りたいので、
全然趣味もスケールも合わない。

小さいロボを作るには、小さい部品、関節を作る部品、手や頭や羽に見える部品とかが必要だ。
レゴのパッケージを買う際、そのパッケージ自体は自分の趣味に合わなくても、
細部をよくよく見て、あれば使えそうな部品がどれだけ多く入っているかで選んでしまう。

そうやって、欲しい部品を目的にした買い方ばかりしていたので、うちには細かいレゴしかない。
同じレゴでも、細かいレゴは対象年齢が高く、使いこなすのが難しい。
単純な四角いだけのブロックなら、対象年齢が低いのでうちの三歳児でも使いやすいのだが、
あたしの作りたいものには不要であるため、うちには子供の扱いやすいレゴがないんだよ。

それでも、子供はそれを組み合わせて何かしら作るので、作りやすいブロックを買い足す事になった。
基本ブロック650ピースセットと、建物のための基本板をAmazonで買って、合計4000円くらい。
レゴは高いイメージがあったが、格好いいやつを買おうとするから高いんであって、基本ブロックは結構安い。
しかし地面の板欲しさに格好いいやつを買いたくないので、板を単品で注文。

せっかく板の上に家を造っても、屋根を形成するナナメ部品は基本ブロックに入ってないし、
大きいのは趣味でもないので、もとから持ってもいない。
同様に、戸も窓もない。
あと、乗り物が造りたくてもタイヤがない。
あたしにとって、タイヤはタイヤにしかならず応用が利かない悪い部品だったので、それも持ってない。
それらはバケツシリーズを買えばセットでついてきたのだが、ついてくるブロックの数優先で、
今回は基本ブロックのみにした。

これだけの数があれば、何か作った時、それを壊さずに次のものを作れるので、
壊したくないお気に入りを作ってしまった場合も安心。

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依田の古碁名局選の棋譜を並べていて、いくら歴史上の強い人といってもピンと来ない
あたしのような素人には、歴史上の強い人も現代の強い人も、どっちが強いか棋譜からはわからない。
知らない強い人の棋譜を並べるより、テレビや著書でおなじみの強い人の棋譜の方が、
並べてる途中でも両者の顔が思い浮かんだりして、あたしには面白い。

それで、古碁はお休みしてNHK杯の棋譜を並べる事にした。
NHK囲碁講座テキストにはNHK杯トーナメントの棋譜も掲載されている。
テレビ放映後で直近のものを載せるので、前回の決勝、準決勝は5月号だ。
まずはというか、ありきたりな発想だが、決勝が一番強くて勉強になる気がして、決勝を並べてみた。
が、これはあちこち分からない手が多すぎて、個人的にはあまり面白くなかった。
それより、準決勝の治勲対山下が、並べていて面白く、148手まで暗記して並べられるようになった。

今までやった棋譜並べは、同じ棋譜を何回か繰り返し並べることで、
意味があって連続する手の流れくらいは覚えるという所まではやった。
そのくらい同じ棋譜を並べていると、そろそろ他の棋譜をやろうかと気が移ってしまう。
初手から100手ぐらいまで、覚えてしまうつもりでしつこく繰り返したのは今回が初めて。
いままでも、覚えるほどはやっていたが、覚えるまではやっていなかった。
覚えているところまでは見ないで並べ、その後ちょっとを見て並べるって感じで繰り返していたら、
この対局は104手まで盤の上半分に集中し、105手から下半分の布石に戻るので、
100手で暗記を終えてしまうのはもったいなく、結局は今のところ148手まで見ないで並べている。

プロがオススメする上達法の三本柱、実戦、詰碁、棋譜並べのうち、
実戦は、我が家の環境だと子供が小さい内は時間を作るのが無理だと完全にあきらめている。
残りの詰碁と棋譜並べだが、どっちもそれ単独で面白い。
しかし、その知識が上達の足しになっているのかどうかはまだ疑問である。
ただ、詰碁については、出来るようになったことで詰碁以外の本を理解する助けになっている。
詰碁をしないで定石とかヨセとか読んでも、ヨミがついて行かないから意味不明になる。
ヨミのトレーニングとして、詰碁が多少役に立っている気はしないでもない。
問題は棋譜並べの方で、これがはたしてどれほど役に立つのか、誰でも出来るだけに不安が多い。

あたしは、囲碁は莫大な情報を丸暗記して強くなるゲームだととらえている。
考えるより、数をこなして知らないうちに暗記しちゃうゲームであり、
ボンヤリと莫大な時間を無駄に使うことで、経験でジワジワ強くなるんだろうと思う。
効果に不安があっても、莫大な情報の暗記の一環として、棋譜並べをやる事に抵抗はない。
また、囲碁の目的はボケ防止でもあるので、暗記のトレーニングは歓迎している。
しかし上達のためとなると、本当にこれで良いのかと疑問に思ってしまう。