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頭の良さの基準はいろいろあり、何らかのテストで数値化することもできるだろうが、
そのテスト向けに対策をすることや、慣れておくことで点数を伸ばす事が可能だ。
でも、メチャメチャ勉強した人とちょっと勉強した人が同じ点数を取ったら、
メチャメチャ勉強しなきゃ追いつけない人は頭が悪いって事になっちゃう。
この場合、同じ点数なのに、勉強しなくても出来る人の方が頭が良い。
勉強の仕方の差で、効率がよい先生に教えて貰ったとかだと、単に経済力の差な場合もある。
頭の良さってのを計るのは実に難しい。
しかしあたしの場合は、自身の頭の悪さは身にしみていて、それによって不便を感じる事が多い。
能力が高ければ便利な時にかぎって、他人より能力が低いせいで不便をしていれば、確実に頭が悪い。
とにかく、考えるスピードが遅すぎて致命的だ。
たとえば知識をつけておけばカバーできるという部分なら、頭の悪さを知識で補えばよい。
考えなくても出来るくらい訓練すればいいジャンルも大丈夫。
でも考えるスピードがそのまま反映されるようなシーンは本当に苦手だ。
パソコンで言えば、いくら速いプログラムを書いても機械が遅ければどうしようもないって状態だ。
遅くて遅くてしょうがない。
学生時代のテストとかは、いくら遅い人でも全部答えがわかってれば時間は余るわけで、
全部答えがわかるほどに猛勉強すれば、算数以外はどうにでもなる。
文系に行くか、算数に頼らない理系に行けば、頭の遅さが問題にはならない。
って、まさにそれはあたしそのもの。
苦手を訓練でカバーしてはいるが、元の性能が悪いからどうにもならないものもある。
考えるのが遅いと、考えて理解するのまでの時間がかかる。
本をちゃんと理解しつつ読む場合、よその人よりだいぶ時間がかかる事になる。
速読の技術でインプットの速度を高めても、結局は理解の能力がボトルネックになるわけだ。
頭が悪いと勉強にも時間がかかる。
よその人が、少ない勉強で成果を上げ、空いてる時間で別の勉強も出来るのがうらやましい。
人には向き不向きがあると言うが、性能が絶対的に低い場合、不向きはあっても向きはない。
向いてるというか、向いてないわけじゃないとか、向いてなくても出来るとかに限定されてしまうのだ。
非常に不便だ。
というわけで、囲碁とか将棋とかはモロに苦手分野であり、特に囲碁は数えなきゃいけないので苦手。
ところがあたしは、苦手なものをやるのが面白いという変な性格。
ゲームでいえば、強いキャラは強くて当たり前だが、弱いキャラは弱いから面白いとかいうタイプ。
得意なことをやるのが好きだと、よその人より秀でた部分がさらに伸びて、金儲けにもつながるのだが、
苦手なことをするのが好きだと、頑張っても人並みだから完全に自己満足なんだよな。
苦手なものが好きという意味でも頭が悪い。
頭が悪いと本当に不便だ。