鍛えるという娯楽

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二日くらいプログラミングをやって、その間、詰碁をやらなかったせいで、
もう一度詰碁を始めるのが面倒だと感じた。
ちょっとでも暇な時間があればすぐさま鍛えようと思っていたのに、ボンヤリしてなかなか始めない。
やっぱりトレーニングは、習慣として続けていかないと挫折しやすいな。

あたしの場合は、対局で勝つためのトレーニングとして詰碁をやるのではなく、
トレーニングである詰碁をもっと楽に解けるようになることを目指している。
たとえるなら、何かのために体を鍛えるのではなく、鍛えること自体を娯楽にしたような人と同じだ。
でもやっぱりこれほど続けてきたトレーニングでも、いったん休むと再開しにくくなるようだ。

プログラミングはトレーニングでやってるわけではなく、あれはほとんど育成ゲームだ。
ゲームで自分の好きなようにキャラを育てる感覚で、作りたいソフトを作るのが楽しい。
普通の育成ゲームでは、せっかく育てたキャラでさえ、しばらくゲームを起動しないとどうでもよくなるが、
自分で作ったソフトを毎日自分で使っていると、ゲームで言えば毎日起動してるのに相当するわけで、
プログラミング自体はしばらくやっていなかったけど、いつ再開しても更新は出来るという感じだ。
新しいソフトを作るとなると、新しいゲームを始めるみたいな物だから面倒だし、
普段使ってないソフトのメンテナンスもやりたくないが、毎日使ってるソフトの更新だと楽しい。

しかし、育成ゲームなんかやるより自分自身を育成しようと決めたはず。
同じゲームをやるにしても、データを育てるより、ゲームの腕前を鍛えようという趣旨で、
RPGとかはやらないようにし、アクション、落ちものパズル、音楽ゲームをやるようにし、
その後、どうせうまくなるなら、一生遊べるだろう囲碁を鍛えた方が得だってことになったはず。

デジタルの育成にハマって自分自信の育成が面倒くさくなるのは不本意だ。
やはりまだ、トレーニングの時間を割いてまで、プログラミングをやるべき時期ではない。
またしばらく、詰碁以外の趣味は控えたい。

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