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2008年 3月 13日 のアーカイブ

GoogleとかYahoo!とかの検索エンジンは、リンクを辿って多くのホームページの情報を集める。
どこにどんなホームページがあるかっていうのを、検索エンジンが始めから知ってるわけじゃなく、
検索にひっかかりたいホームページをどんどん探していってるわけだ。
どんなに良いホームページを作っても、どこからもリンクされてなければ、検索エンジンが回ってこない。
逆に、検索エンジンにひっかかりたくない場合、リンクしなければいいということになる。
まぁ、自分でリンクしなくても、よその人がリンクさせちゃったら検索エンジンが来ちゃうが。

検索エンジンに来て欲しくないページを指定する方法はたくさんあるのだが、
あたしは昔から、リンクの部分をスクリプトにしてしまうという方法を頻繁に使っている。
ブラウザではスクリプトがオンになってる時しか表示されないようなリンクを書く。
そうすると、今はどうか知らないが、少なくとも昔の検索エンジンはそのリンクを無視してくれた。

検索エンジンが無視するかどうかは、リンク先ばかりじゃなく、リンク元にも影響を与える。
怪しいサイトにリンクして紹介しているページは、そういうサイトとして見られるし、
何かについて書いた時、それに関するサイトを紹介してるページは、それなりに関連があると判断される。
だから、よそのサイトからトラックバックをうけても、そのトラックバックをスクリプトで書くことで、
もし、トラックバック先が悪意のあるサイトでも、そのサイトと関係があるサイトと判断されることを防げる。
Googleは広告の配信をしているが、その部分をスクリプトで書いて、無関係のサイトへリンクしている。
よって、他の検索エンジンも、スクリプト内はリンクじゃないと見なすしかないのだ。

そういうことを利用して、これまで、Amazonへのリンクはスクリプトで書いてきた。
今となっては、なぜAmazonにリンクしたくなかったのかもわからなくなってしまった。
おそらく、たまに記事内容とは全く無関係のリンクを貼ったりするから、
それのせいでGoogleの広告までつられちゃうことを心配したのだろう。
これはなんとなくやっていたことだから、理由はわからない。
で、今回、またしてもなんとなくだが、スクリプトじゃないリンクにしてみた。
だので、今まではAmazonへのリンクを貼っていても、商品名すら書かれていない事になっていたのに、
これからはAmazonの商品へリンクしているページとして、関連性があると判断される。
その方がいいかなぁって、べつに強い理由もなく思ってやった。
ついでなので、直接リンクではなく、転送を挟んでいけるように変更。
これも検索エンジンを意識してのことだが、どう意識してるとかハッキリはしていない。
間接的にAmazonにリンクしてるサイトとして、検索エンジンに判断されたいという、中途半端なこと。

逆に、RSSへのリンクをスクリプトで書くように変更。
RSSをクロール禁止にしたらブログとしても検索できなくなるだろうから、
WEBページとしてのクロールをなるべくさせないいうことでやった。

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規則を決めたら、それを破った者には、たとえ事情があっても一律のペナルティを科さなければ機能しない。
例えば、のっぴきならない理由で急いでいても、スピード違反は違反であり、
違反しなくてもいいように早く出発するとか、遅れてもいいように手を打っておくとかしなきゃいけない。
事情があれば違反するつもりで生活してる人は、あっても違反しないつもりの人より楽してるんだから、
それだけでもペナルティーものであって、実際に違反したあとに急ぎの事情を話して許して貰うなど論外だ。
同様に、いかなる犯罪も、あわよくば捕まっても許して貰えると思われたら、規律は崩壊する。

よその国は知らないが、日本では、罪を犯しても精神鑑定で責任能力が問われたりする。
または、同情すべき環境にあったから刑が軽くなるとかいうこともある。
で、すでに罪を犯したことは確実でも、今度はなぜ罪を犯したかの裁判をやっているのが、すごく無駄だ。
最近そう思わせたのは、「バラバラ完了」でおなじみのカオリンの報道だ。

夫も浮気している、妻も浮気している、浮気したのも相手のせい、結婚前から続いた云々、とか、
事件の原因の原因の原因は、最終的に親が彼らを産んでしまったことまでさかのぼりそうな勢いで、
なぜ裁判で、法律の専門家が集まって、お互いどうしようもなくなった二人の身の上を検討するのか。
やったかどうかを判断すればいいんであって、それ以上追求して首を突っ込む理由は一切ない。
何罪は何年ですと一律決めてしまって、型どおりのペナルティを与えればいいじゃん。

人間なんてあまり立派なものじゃなくて、環境に左右されてどんな人にもなってしまうわけで、
事情があって罪を犯した人がかわいそうなら、事情もなく罪を犯した人だって同じくかわいそうじゃないか。
環境のせいで悪いやつに育った人も、環境のせいでかっとなってやった人も、それで逃れさせてはいけない。
どんな事情でやっても、同じ事をやったら同じペナルティを与えるべきだ。

この間までは同情を買うための裁判をやっていたと思ったら、こんどは正常じゃなかったという裁判になった。
そんなことを言い出したら、あたしのような正常じゃない人間は犯罪し放題じゃないか。
あるいは、犯罪を犯す前にタップリ酒でも飲んで、酩酊状態でやれば無罪かよ。
たとえ、犯罪の瞬間に責任能力がなくても、その後始末でずいぶん楽しそうなメモ残すじゃん。
逃れることが出来ると期待しての隠蔽工作ができる人に罰を与えないというケースがあって良いのか。

こうしてみると、犯罪者の諸事情に立ち入ることなど無駄以外の何物でもない。
やった理由とか聞くな。
そうした上で、聞いてもいないのに理由を話す人には、「言い訳罪」も適用しろ。
やったかやっていないかの裁判以外は時間と金の無駄遣いだ。

あたしはこのジェロの海雪がツボにはまった。
完全にほめる所ばかりではない所がなおよい。
しつこいほど、ジェロの魅力を嫁に説明したのだが、なかなか食いついてこない。
ジェロは大衆的だと思っているのだが、ひょっとしてマニアックなのか。

そもそもあたしは、演歌に出てくる女が大好きだ。
演歌の女は一つの恋に命がけで、ふられたら別の人を捜すという気が一切なく、
叶わぬ恋なら死んでしまおうという、物騒なヤバい女が多い。
ヤバい女を女性歌手が歌ってしまうと怖いけど、男性歌手が歌うとなぜか好きだ。

あたしはかつて「肉唄」とか「どでかロボ」とか、極端な楽曲を作って公開している。
http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a001596
極端に作った時でさえ、死ぬかどうかっていう話はなるべく避けようという意識はあったわけで、
楽曲のメインテーマを死ぬかどうかにしちゃった海雪を聞いて、これは悪ふざけの曲だと直感した。
真面目に作った演歌ではなく、あたしと同じく、極端なナンチャッテ演歌の臭いを感じた。
よくテレビでは、豪華なスタッフが楽曲を作ったと言われてるが、それでこれかと、むしろ笑ってしまう。
そもそも演歌自体が笑えるジャンルで、豪華スタッフが真面目に作っても笑えるということかもね。
そのあたりが面白くて、海雪にいっそう惚れたのかもよ。

ジェロ本人がとても真面目そうで、地方で頭を下げて回ってるのを見ると、
そういうコツコツ挨拶する外人ってのに、日本人は大変弱く、コロっといっちゃうと思う。
単に外人だということではなく、外人なのに日本のチャラい若者よりよっぽど真面目そうな所がうけそう。
ただ、黒人であるという話題性であちこちで取り上げられた事はラッキーだが、
色物扱いされているというアンラッキーな事もある。
彼は演歌で生き残る人ではなく、一発屋になると思われていて、
一過性のブームには乗りたくない人達は、あえて彼の歌には興味を持たないだろう。
売る側も、今のうちに何でもやってしまえという、色物の売り方をしてて、とてももったいない。

そもそも世界の音楽は黒人のセンスで洗練されてきたわけで、
今こそ日本の演歌も、新たなステップの時かと思うとワクワクしてくるのだが、
一発屋で終わっちゃったら、ジェロだけじゃなく演歌というジャンル自体がもったいない。
そう思うと、もうしばらくジェロだジェロだと騒いでおきたい。

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