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2006年 6月 1日 のアーカイブ

痴漢が襲いと変換しようとした賢さ。
ともかく、一切作業に取りかかっていないが、やるしかないことなので先に書いとく。
真魚で一括の置換をやらせると、遅くて待たされるので改善する予定。

なぜ遅いかという話を書いておく。
検索は高速である。なにせテキストの保持仕方が単純なので、
普通にBM法が通っちゃって、これ以上ないって位高速だろうさ。
検索でヒットしたらその単語を選択する。
すると、入力位置が動くので、必要ならスクロールが発生する。
ここまでは、検索でも置換でも同じ。
で、置換の場合は、確認ダイアログが出現する。
ここでようやく選択語句を、新たな単語に置き換えるわけだが、
旧単語を消してその分詰めて、新単語文字数分空けて、新単語を入れて、
その際、アンドゥやらその他の保持すべき情報を更新し、
折り返しのチェックをして、色分けの準備を行単位で行い、
さらに描画の必要があれば本格的な色分け処理を行い、やっと画面表示する。
連続の置換では毎回毎回描画を求めてはいないが、
それ以外のメモリーの細かい移動作業と色分けのチェックはボトルネックだ。

いや、遅いと言っても、一発ずつの置換は一瞬なので問題ないわけで、
一気にゴッソリ置換する場合がイライラするわけだ。
どうして一気にゴッソリ置換する事があるのかというと、
先日やった、文字コード変換テーブルの、DelphiからC#への移植だ。
16進数の数字自体は変ってないが、Delphiでは$、C#では0xなわけだから、
単純な置換をテキストエディタでも出来るわけだけど、
一つ変換するたびに増えたり減ったりしてメモリーのコピーをし、
そのたびに行ごとに折り返しと色分けのチェックしてるわけで、
一括で全部置換して、終わってから全てチェックするようにしなきゃいかん。
いかんのは初めからわかっててさぼってきて、いざ自分で使って必要になった。

Undoも一括で置換させた部分は一括で戻し、一つ一つやった部分は一つずつ戻す。
これが正しい動作だし、余計な事しない分高速だって事は十分わかってる。
単に、置換を大量にやる機会が少ないがために、優先順位が低迷しただけだ。
でもこれはやらなきゃいかん。

やる前から書いておかないとまたやらないので書くだけ書かなきゃ。

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世間で言えば自画自賛に当たるわけで、誉められた事ではない。
だが、擁護ではなく、当たり前の事実として自分自身が面白くて当然だ。
すなわち、自分にとって一番面白いのが、他ならぬ自分であるという話で、
貴様にとって一番面白いのは貴様であり、貴殿にとっては貴殿であるという話。

例えば今この文章は、今自分が面白いと感じているから書いているのである。
他人から見て面白い文章を書くつもりなど全くない。なんせ人間用じゃないし。
これは、あたし自身の感性を喜ばすためだけに書いているわけだから、
来年の自分、10年後の自分が、今の感性とさほど変るとは思えないわけで、
未来の自分を楽しませるのは、現在の自分が楽しいことを書くのが一番だ。

例えばダジャレでもいいさ。
今ダジャレを思いついたとして、それが今面白くなかったら、
将来も同じダジャレは面白くないと感じるに決まっている。
だが、逆のそのくだらなさにちょっと吹いちゃったようなダジャレであれば、
それを将来、忘れた頃に見れば、同じダジャレでまた笑うかも知れないのよ。

この現象については、DTM関連をやってた頃も同じ事を書いた事がある。
いい曲が出来たと思って気分が盛り上がっても、
次の日に聴き直してみるととダメダコリャって思うことは多々あるわけだが、
そこで手直しを入れて、次の日もその次の日も聴ける曲にしたとしても、
自分の実力以上の物は作れないわけだし、どれも似たような曲になっちゃう。
でも、一晩かぎりで作った、その日は最高だったけど次の日飽きちゃった曲は、
忘れた頃に聴くともう一度その最高な気分を思い出させてくれるのだ。
つまり楽曲も、未来の自分を楽しませるのは、今自分がいいと感じた物だけで、
ダジャレとかの面白いとかと何ら変わりない理屈なのである。

さてここから、自分のやった面白いことを自分で説明する。
http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a001596
まずはジジイの写真。これのせいで本当にジジイだと思われたりしたのが面白い。
自己紹介に即興でポエムとやらを書いた。
ポエムだと言えば意味不明なことを書いても許される事へのアンチテーゼ。
自己紹介なのにそれが書いてあることが面白い。
グループメンバーが人間であることは分かり切ったことだが、
ホモサピエンスであるというさらに分かり切った補足がなされているのが面白い。
使用している楽器が「特になし」なのは反骨であり面白いわけではない。
「架空の友人が大変な罪を犯しました。」が、ウソなのに大変という所が面白い。
http://www.ismusic.ne.jp/wantech/
これなんか、ずっと放置してるのになくならないことが面白いよ。

どこかのブログで、自分で書いたことが面白いと書いてあったので、
みんなそう思ってるんだろうなという事を、
自分のやったことを自分でおもしろがって見せることで表現してみた。

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初めから書いているとおり、あたしゃ自転車にギアチェンジを求めない。
単に、軽いギアだと体重乗せられないし、背筋も使えないので、
ある程度重いギアが備わっていれば、そのギアから変更できなくてかまわない。
昔から、上り坂でもギアチェンジしてなかったから、それが体に染みついている。
その昔乗ってたチャリでは、一番重いギアは重すぎなので、一段下げてた。
今回のチャリも、一番重いと重すぎなので、一段下げて乗っていたが、
車に積んで運んだりしてる時だろうか、知らぬ間に一番重いギアに入ってて、
知らずにそのまま乗ってて、ふと気がついたので一段下げたら軽すぎる。
よって、ギアは一番重いの以外使わないと言うことに決まった。
今朝もその一番重い状態であることに、途中まで気がつかなかったくらい自然だ。
昔、若くて元気な頃ですら一番重いギアは避けていたのに、
脂肪肝男となった今、一番重いギアに乗れるというのはおかしな話だが、
これはおそらく、今のチャリの重量であったり、力の伝わり方であったり、
様々な点で昔乗ってたチャリよりも効率的に出来てるからだろうなと。
昔乗ってたチャリの一番重いギアより、今のは軽くて速いってことだろう。
軽いと言えば、重量が軽くて不安になることがある。
他の自転車はずっしりしてるので、ちょっとの段差は全然平気だが、
これはロードよりなせいか、ものすごく揺すられて頼りない。
並べると見た目でも、タイヤが細いし色々付いてない物があるしで頼りない。
こういうのがカッコイイとか言う感性にはついて行けないな。
いや、自動車も自転車も、カッコイイとか感じない実用重視だからいいけどさ。

実用といえば、濡れてない綺麗な舗装路ではすばらしく実用的だが、
水たまりにあまりにも弱くて、泥よけの到着を待ち望んでいる。
線路の下を通る道は低くなってるので、どうしても水たまりが出来やすく、
しかもそこは狭くて、水たまりを回避すること自体が危険なので、
どうしても突入しちゃうのだが、下り坂、水たまり、上り坂、のコンボなので、
せっかく下り坂で付いた勢いを水たまり前で止めてしまうと、
上り坂がきつくなっちゃうということで、ついつい勢いを残してしまう。
車でも、一時停止も徐行もしたつもりでも、相対的にスピード落としただけで、
絶対的なスピードはわりと出てたりするわけで、
この線路下の水たまりスポットも、気をつけないと背中が大変なことになる。
背中だけかと思ったら、先日ワザと雨に濡れて見たらさらに大変なことを知った。
確かに、背中は頭まで泥が上がる大被害だが、
一番濡れたのはケツからモモの後ろまでで、いかに雨に弱いかを実感した。
たぶん入荷待ちの泥よけは、サドルから後ろに伸びるタイプだろうから、
サドルから上の、すなわち背中や頭への泥は防いでくれるかも知れないが、
それじゃこの一番被害が出るモモの後ろは防げないだろうな。
今まで通り、その線路の下スポットは気をつけて走らないと、モモがヤバイだろう。

サドルを多少上げてみた件だが、ほんのわずかに傾けることで、
乗るときも普通にまたげるし、信号で止まるときもべったりと足をつける。
よく見かける、ババァが止まるたびにサドルから降りてる見たいな事はない。
よって、危険でも乗り降りが面倒で止まりたくないというシーンはない。