ゲームといとこ
ファミコンはあたしが小学校の時に発売された。
その前もカセットビジョンとかいろいろテレビゲームが存在していたが、
大がかりなことをやっても所詮はゲームウォッチと同レベルの、あまり面白くないソフトしか出てなかった。
テレビってのは家族の物だから、自分だけがゲームでテレビを専有するのは微妙な雰囲気があるわけで、
そこまでしてゲームをやるからには、よっぽど面白いゲームでないといけないわけだ。
よっぽど面白いゲームが出始めたのがファミコンからだったから、ファミコンは売れた。
子供のおもちゃだと思っていい加減に作っているメーカーももちろんあり、
買ってみるまで面白いかどうかはわからないので、ハズレを引いた時はとても悲しかったが、
名作と呼べるソフトに出会った時の喜びは相当な物だった。
子供をナメたおもちゃばかりだった時代から、本気で子供に選んで貰う時代への移行だった。
で、当時の大人はゲームをやらなかった。
ゲームどころか、子供がやる遊びは一切やらないし、子供が見る漫画、テレビも一切見なかった。
どこからか大人と子供の明確な境界線があり、いつかキッパリ遊ばなくなと思っていた。
ある日、いとこに「何歳までゲームやる?」って聞かれた。
我々はずっと、あえばゲームかガンプラの話しかしない仲だった。
どっちも子供の遊びであり、彼もいつか大人になるために、それを捨てなければいけないと思ったのだろう。
あたしは「やめない」と答えた。
子供のおもちゃを真剣に作っていなかった時代に生きた大人達は、
おもちゃなんて子供の遊ぶ物だとバカにしているだけなんだ。
子供の頃からファミコンとかやってたら、大人になったからと言ってやめるわけがない。
子供の頃に低レベルな漫画しか見てないと、大人になったら低レベルな漫画を馬鹿にし、
しかも、ハイレベルな漫画にはついていく能力さえなく、結局漫画自体を楽しめなくなる。
我々は、子供の頃からゲームで遊ぶ能力を獲得し、大人になってもゲームができる世代なんだ。
楽しむ能力のない人にバカにされても、楽しければ一生遊べばいい。
それが当時のあたしの答えだった。
そのまま今でも、ゲームは好きだし、やりたいゲームは山ほどあるが我慢している。
あまりゲームをやらずに育った人ほどライトなゲームが好みだが、
ゲームばかりやって育ったあたしは一生遊べるような奥深いゲームをやりたがる。
すぐ飽きるゲームじゃなく、ずっと飽きないゲームをトコトンやりたい。
でも、そんな面白すぎるゲームは、面白すぎてずっとやってしまう。
たとえばオンラインゲームは面白すぎて生活自体を崩壊させるので、我慢して絶つ事にした。
オンラインじゃないゲームも、それが面白いほど、多くの時間を費やすことになるので、
その、時間を費やしている間は面白くて結構だが、長くても数ヶ月でやめるから労力がもったいない。
ずっとやめないゲームならもったいなくないが、すぐやめるものにあまり投資したくない。
そういう理由で、いまはゲームを我慢して、そのぶんの時間で囲碁をやっている。
ガンプラもゲームも疎くなってしまった今、いとことどんな話をするかと想像すると、
やっぱりゲームをやめて囲碁をやってる理由の説明をするんじゃないかと思う。
ゲームが面白くてやめられない人に、ゲームより面白いぜと言う説明をするのは野暮だよな。
でも、あれだけやめないと言っていたゲームをやめたよって言ったら、そういう話に続くよな。
たばこもなぜやめたかって聞かれるけど、やめたつもりはない。
去年は6本だったか、今年は1本しか吸ってないけど、やめたかと言われればやめてないと思う。
今吸うかと言われれば、吸いたいけどなぁ、明日まで嫌な味が残るから吸わないなぁ。
ひょっとしてゲームも、やめたのではなく、今はあまりやらないだけって事でいいのか。
もうすぐ盆だなぁと思ったら、盆と言えばいとこだなぁになって、そういう話。