昨今の外国人差別について
差別ってのは例えば「人種が違うから殴っても良い」とかの話だ。
人種が自分と同じかどうか認識することは差別じゃない。
「あ、外人だ」は差別じゃなくて「外国人は嫌い」が差別になる。
昔は「あいつは女だ、だから安く雇おう」だったわけで、これが差別なのはもう常識だ。
じゃ「あいつは外国人だ、だから安く雇おう」がなぜ許されているのか。
外国人を安く雇う企業は差別企業だって事にならんかね。
労働力不足だと言うが、不足しているのは安く雇える労働力だ。
安く雇える労働力は外国人だと判断するなら、それはもう差別でしかない。
日本人を雇ったら潰れる、外国人を雇ったら潰れない、それは差別のお陰で潰れないだけ。
差別がなくなったら潰れる企業が、差別に頼って生き長らえている。
日本の企業が外国人を差別した安い賃金で雇って利益を出すって恥ではないのか。
ましてや国が制度として安く外国人を雇えるよう後押しするなら差別国家だ。
どこかから政治家に圧力がかかって、外国人が労働力として入りやすく仕向けられてるだろう。
そういった団体は倫理的に悪いんだぞという考え方を普及させたい。
最近は、逆に外国人労働者の流入に反対する人が差別的であるかのように言われている。
これが逆転して、日本人と同じ賃金で雇わない限り悪いことをしてるんだよって思って欲しい。
あたしは別に人権を守ろうとか思ってないが「お前こそ差別だろ」って言いたいときもある。
いやホントに制度を変えたいとか差別をなくしたいとか、そういう事を言ってるんじゃない。
「差別が良くないから」等という武器を振りかざして、儲けを出そうとしてる存在が鼻につく。
あたしはもうテレビのニュースとか見てないけど、見てる人は騙されまくってるわけだよ。
排外的な人は差別的なんだという世論が広がってしまってる。
あたかも正義であるかのように、悪者扱いして非難し始めるわけだよ。
いやあたしには関係ないよ、左にいる人が右にいる人を非難してもホントはどうでもいい。
けどさ、その左の人もちゃんと正義なのかって考えると、むしろそっちが差別に思える。
非難する側が差別って言葉を持ち出さなきゃ、別にどうでもいいことなのよ。
でも「差別」って言葉は武器じゃん。
使えば勝てる武器は卑怯じゃん。
それを使うんだったら言わせてもらうけどもって言う事でこの話になる。
外国人労働力に問題提起すると差別主義者のレッテルを食らう現状がある。
だったら差別がないように、外国人も日本人と同等の賃金で雇えますかと。
日本人と同一の賃金だったら雇わないんでしょ。
じゃむしろ差別してるのはどっちなのかな、っていうね。
良いか悪いかの話に「差別」を持ち出すんなら、じゃあ言うけどさってだけね。
おしまい。
