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2020年 12月 16日 のアーカイブ

あたしはあまり、差別がなぜ悪いのかの教育を受けてないか、徹底されていない。
もしかしたら若い人は学校教育でもっと掘り下げてるのかも知れない。
今は「差別は悪い」って誰かが言ったら、「なぜ」と疑問を持つことすら許されない。
あたしのように頭の仕組みが常にマイノリティな人間は、毎日差別されて生きてきた。
何をやっても人と違うから、何をやっても差別されるが、日常すぎて当たり前になってる。
たかが、何か一つマイノリティを持ってたからって、差別するなと騒ぐ連中が女々しい。
で、あたしはこうして今も、マイナーな話をしている。
差別をなくそうとか言ってる連中に反発するという、誰もやらない事をやるわけだ。
メジャーに逆らうマイナーは常に、頭がおかしいという人格攻撃を受ける。
内容が良いか悪いかではなく、それを発した人間そのものが否定される。
さて、差別をなくそうとか言ってるやつが、よく考えもせず、矛盾した事をやってないか。
いや、あたしのようなキチガイは珍しく、それは人類にとっての未知であり、恐怖だ。
都会には外人がいっぱいいるが、田舎じゃ外人が歩いてたら目立つ未知であり恐怖だ。
会社や学校に一人コロナ感染者がいたら恐怖を持ち、警戒し差別をしてしまうだろう。
これらを頭ごなしに差別するなとか言われても、キチガイは人を殺すかもしれないんだぞ。
このキチガイは安全であるとか、この外人は敵意がないとか、誰が証明するのか。
コロナ感染者が回復して他人に感染させない状態であることを、はたして信用出来るのか。
正当な安全を確保しようとすれば、おかしい人の話は聞かずに遠ざけるのが当然。
文化や宗教の違いで害を及ぼすかどうかも未確認の外人とは、距離を取るのは当然。
ウィルスがどこまで安全か理解出来てない人は、感染者から逃げるのは当然。
未知であるが故に当然取る行動を、「差別は悪い」を悪用して非難しすぎてないか。

人間は全知ではない。
知らないことはいっぱいあるし、知ってるつもりで間違ってることも多い。
そして人間には個性がある。
個体だけじゃなく民族には文化の違いがあって、知らない民族は奇抜なことをやる。
同じだと決めつけて最初から差別しない事を目指すのが唯一の正解とは思えない。
むしろ防衛本能として、まずは差別から入り、知識とともに平等を築いていくはずだ。
すなわち「差別をなくそう」は、正しくは「知識を持とう」でなくてはならない。
知識を持った後に、差別すべき所とすべきでない所を区別すべきだ。
例えばあたしはキチガイだから、人を殺すかも知れない。
そういう人には人を殺すかも知れないと認識して、あまり仲良くしないことも必要だ。
何でもかんでも平等にしようとして、キチガイと健常者をごっちゃにするのは危険だ。
外人に対しても、あたしは正しい知識を持ってないから怖がっている。
例えば外人があたしに中指を立てても怒らないが、その逆は怒られるだろう。
何をしたら相手の逆鱗に触れるかを理解できてないわけだから、行動に気をつけるべきだ。
その、外人にだけ警戒することも差別だから悪いという風潮に、逆らう気持ちがある。

とにかく差別が悪いと決めつけて悪用してる人が気になっちゃう。
これは差別だ、私は被害者だ、とか言ってる人が全く信用ならない。
何が悪いのかを突き詰めると「差別に該当するから」だけなら理由が希薄だ。
悪者扱いしたくて差別という言葉を並べ、単なる口喧嘩の武器に使ってる。
勝ち負けじゃなく、こうであるからやるべきでないと説く必要がある。
差別だから、ではなく恐怖を持つ必要のない差である事を説明するのが正攻法だ。
正攻法を使わずに、まず差別だからって話をする人は、戦って勝ちたい悪意しか感じない。
解決、和解を求めず、ひたすら相手の服従だけを狙って差別に反対する人ばかりだ。
だから、差別の善し悪しはともかく、差別という言葉を悪用してる人が大嫌い。
善し悪しを突き詰めたいわけじゃない。
突き詰めもせず悪いと決めつけてる人が、誰かに対して攻撃的であると言う点が嫌い。
すなわち、何かではなく誰かを否定してる訳じゃん。
誰かの発言ではなく、発言をした誰かの人格を否定し、やっつけてやる気が強すぎる。
そのせいで、差別という言葉を口にする人には、内容はともかく身構えてしまう。

差別の話すんなや。
どうしてもしたいなら差別という言葉を使わずに何が悪いか話せや。