石倉昇の嘘本

1915 letters | 1673 views | コメントする

趙治勲の「おぼえたての碁」を、おぼえたて以来で読んだら面白くてためになったので、
その頃に買った別の本も、今読み返せばためになるだろうと考えた。
ほかにおぼえたて以来読んでない本といえば、石倉昇の「最速上達法」という本だ。
期待して読み返したが、あまりにも期待はずれで、最初の方だけ読んでおしまいにした。
おぼえたての時から既に、いろいろおかしいと思っていたが、その後にちょっと覚えたことによって、
当時はおかしいとすら気がつかなかったことまで気がつくようになり、いっそうおかしい本に見えてきた。
おかしいことしか書いてないページを読むのが苦痛になり、読み返すのは途中でやめた。



おかしいのは、彼が勝手に作った法則だ。
より多くのことを総括して短い言葉で表現して、法則と呼びたがっているようだが、
考える役には立っていないし、理解を妨げる言い訳になってるので、初心者に教えるのはやめて欲しい。

たとえば「まわりにきたらごあいさつ」などと、法則をわかっていたとしても、
どうなった時に「まわりにきた」から「ごあいさつ」が必要なのか、曖昧すぎてわからない。
ごあいさつが必要だとすれば、どんなごあいさつを、なぜするのかもわからない。
既にあった着手について、これは「まわりにきたらごあいさつ」だったと、後付けで説明する事はできても、
初心者が着手を決める時に、「まわりにきたらごあいさつ」だからどこに打てというのかはわからない。
どんな状況でどんなごあいさつが必要かがわかる人は、そもそも法則が不要なレベルの人だ。
わからない人にわからなくする法則を授けて、そのせいで余計わからなくしてどうするんだと。

ナナメにご用心、ナナメを狙えは、それ以上に曖昧で無意味。
ナナメは断点になることが多いので、結果的にこの法則に当てはまってしまうだけで、
理由もわからずにナナメを用心することも狙うことも到底不可能だから、
当てはまって打たれたということはあっても、当てはめて打つということは出来ない。
何手か先を読んでようやく答えを出せるのに、まるで万能な法則で答えを出せるかのように書いてある。
初段までは読みも暗記も必要ないなどと豪語し、法則で答えを出したかのような書き方だが、
法則からは答えを出せないのは著者もわかってるはずだが、わかってて嘘本を書いたのか。

「はなしてきたらはなしてうつ」も同様に最悪だ。
なぜ?どこへ?
これは例えば、相手が空き隅を取ったら自分も空き隅を取れとかを言いたいらしい。
ごあいさつならまだ打てる範囲が限定されるからマシだが、離して打てる場所は広大すぎる。
ここまでくると、役に立たないだけでなく、わからない人を更にわからなくする有害法則に思えてならない。
読んでも強くならないどころか、読めば弱くなるかも知れない。

法則がゼロかマイナスであったとしても、それだけではまだ問題にならないが、
最大の問題は、プラスになったと勘違いしてしまうことだ。
いろんなケースに当てはまる曖昧な法則なものだから、いろんなケースを理解した気になってしまう。
教える側も、いろんなケースを教えた気になっているのかもしれない。
わかった気にさせて満足感を与え、実際はわからなくさせているという、
宗教本の手口を無意識でやってるのかわざとやってるのか。

おぼえたての頃に一度読んだ感想でも、やはり法則に文句を書いた。
http://wantech.ikuto.com/diary/55igo/2007/07_0910_1238.htm
文句は言いながら、法則さえなければ良い本だとし、70点と書いてある。
今なら20点以下の評価を下す。

たぶん関連のある記事:

コメントは終了しています。