理由は教えない
年末年始は、ドラマの出演者がバラエティー特番に出て宣伝するので、
どこの局でどんなドラマが始まるのか、だいたい把握してしまっているのだが、
その中で、エジソンの母とか言うのの予告に、腹が立って仕方がない。
何でもかんでも理由を尋ねる子供にもムカつくが、それに答えられない大人を登場されるのが腹立つ。
おそらく、たいがいの大人は素朴な疑問に答えられないだろうが、
答えられなくてブチ切れるまでしつこく、疑問をぶつけまくる子供ってどうなのよと。
ドラマを見ていないのであくまで予想だが、そうやって何でも疑問を持つ子は頭がいいって言いたいんでしょ。
でも、質問してもどうせ答えられないであろう大人を見抜き、そいつには質問しない方が賢いよね。
質問に答えて欲しいなら、答えられる人に訊くべきであって、答えられない人に聞くって事は、
単にひねくれていて、どうせおまえもわからないだろうとか、問い詰めてやろうとか、悪意に満ちているよ。
そうではなく、純粋にどうしてなのか答えて欲しいとしたら、やはりネットで悪く言われる教えて君だな。
このドラマから、性格的にも知能的にも問題がある子を賛美しそうな雰囲気を感じるし、
そのための表現手法として、疑問に答えられない大人をわざと登場させるいやらしさに腹が立つ。
1+1はなぜ2なのかと子供が質問したとする。
もちろん、大人が理論的に考えて答えを出すことは可能だが、それを子供が理解するのは不可能だ。
理由を説明するのではなく、自分で考えてわかるようになるために、これから多くの事を学ぶことになる。
子供の能力を鑑みて、わかるであろう事から順番に教えて行こうという時に、話の腰を折られては困る。
だから、理由がわからなくても、それはそうだと納得して貰って、後にもっと知識を得てから研究すればいい。
それに納得が出来ない子が疑問を持ち続けるのはいいことだが、訊けばわかると思うのは不自然だ。
たかが数年しか生きてない子供だとしても、その数年の間、大人がどれだけ質問に答えられたか、
あるいは、質問の答えにどれほど納得できたか、経験的にわからない子は存在し得ないだろ。
そんな効率の悪い好奇心を持っているとしたら、逆にエジソンっぽい子を演出するには無理がある。
訊けばわかることか、調べればわかることか、考えればわかることか、どうせわからないことか、
我々はまずそこから考えて、訊く方が早いか、辞書を引くのが早いか、諦めるべきかを決定し、
効率を考え、無駄なことをしないようにし、より得をする方法、より楽な方法を選択している。
さてそこで囲碁の話だが、理論的に説明できることと、誰もわからないことがある。
たとえ理論的に説明しても、その理論が難しければ、ある程度精通した人しか理解できない。
初心者が囲碁学習には、考えればわかること、わからないから暗記すること、無視することの区別が大事。
あたしの場合、詰碁なら訓練を繰り返せば理解できるようになりそうで、まずそこをやっている。
定石は理論的に説明されても理解する能力がないので、まだ理解する努力はしない。
布石は理論的に説明できないようなので、なんとなく慣れるだけで、理由まで理解するのは諦めた。
本当は理由をどこまでも追求する方が面白いが、そうも行かないことはいくらでもあるわけで、
そういう時、趣味で追求するのは誰にも迷惑をかけないから、いつまでも勝手にやってればいいけれど、
教えろとか一緒に教えろとかって、個人的な疑問に周囲を巻き込むのは行儀が悪い。
そんな子供でも心得ている事で、子供だましのドラマを作ってそうな番宣が嫌い。