古風な米国の映画

「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」の「べき」の話から始めたい。
最近は「男らしさ」や「女らしさ」より「自分らしさ」を尊重する場合が多い。
きっと世の中では、「べき」や「らしさ」に従ってると、頭が固いとか言われるんだろう。
でもまだ「べき」や「らしさ」を美化する映画で感動してる人もいる。
だから完全肯定でも完全否定でも、主張しすぎると誰かと衝突することになる。
そしてこの話を書く事にしたのは、シュガーラッシュオンラインという映画を見たから。
「本当の友達ならこうあるべき」というのを堂々と主張している。
ほとんどの人はこの「べき」に何の疑問を持たないんだよ。
男や女の「べき」には反発し慣れてる人でも、その他の「べき」には感動してるんだ。
まさにこの映画の感動するであろう最大のテーマが、友達の「べき」なんだ。
「べき」は金になる。
感動を生む。
でも男とか女とかになると、感動する人もいて反発する人もいる。
男の「べき」も女の「べき」も、知らない誰かが決めた押しつけ部分が反発される。
でもその友達の「べき」も知らない誰かが決めた押しつけなのに、反発はされないんだ。
昔はみんなが感動してたような男と女の「べき」映画が、今は反発されてたりする。
昔の男らしくて女らしいかっこよさに、若者は全く反応しないんだよな。

あたしは別にあらゆる「べき」に反発するわけではないが、ディズニーだから気になった。
「べき」は日本人の古い人たちの考えで、欧米では通用しないと思ってた。
おそらく男や女の「べき」はその通りだろう。
だが、友達の「べき」はこうも堂々と古めかしく金づるになってるんだなと。
それが日本じゃなく米国で成立してるんだなと。
一番うるさく、日本の文化に口出して「べき」を壊してきた連中でもこうなんだなと。
米国の「べき」はディズニー映画で自然に輸出されてるんだな。
きっと多くの日本人は一緒になって、友達はそうあるべきだと思ったに違いない。
男にも女にも「べき」は要らないが、友達に「べき」は必要だと思ってるんだろう。
すんなりと、疑問に思わず感動してるんだろう。

さてようやく前置きは終わり、ニートは働く「べき」と戦っている。
人間はみな働く「べき」という当然のことを、柔軟に誰かの押しつけだと思えるだろうか。
男や女の「べき」も友達の「べき」も誰かの決めた主張の一つでしかない。
なら働かない人に働く「べき」だと押しつける事が、横暴だと思えないだろうか。
男の「べき」も女の「べき」も自分の中で完結して人に言わなければ迷惑じゃない。
思想は自由であり自分が自分の思想に従っていれば良い。
が、その自分の思想から外れた人に、男らしくしろ、女らしくしろと言えば横暴だ。
他人に自分の思ってる「べき」を押しつける行為になっちゃう。
男と女の「べき」を押しつけられて反発してる人は、働く「べき」に反発しないのか。
働かない人も死なない福祉社会を作ったんだろ。
男らしくなくても女らしくなくてもいいなら、大人らしくなくてもいい事になろう。
他人がどう生きてもそういう生き方なんだと寛容になるのがかっこいいんだろ。
だったら働かないという生き方の人に、働くべきだと押しつけられないな。
「将来きっと大変なことになるぞ」とか、働かないことの害を主張するじゃない。
それは結婚しない人の害を主張する人と何ら変わらないと思ったのよ。
子供がいなくなって日本が滅ぶぞ、という主張は確かにその通りよ。
それに反発して、子供を産まない人でも良いじゃないかって話だろ。
だったら働かなければ日本が滅ぶし、それでも働かない人は勝手にしたらいい。

別にあたしは何か主張があるわけじゃない。
人間どもの言ってることやってることに矛盾があると気持ち悪いだけ。
「べき」に反発するなら他にも「べき」はあるぞって思っちゃうだけ。
男と女の「べき」に反発して、友達の「べき」を受け入れ、働く「べき」と押しつける。
自分は他人の思い通りになりたくなく、他人を自分の思い通りにしたい。
そんなときに「べき」に反発したり利用したりしてるんだな。

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