ドナーカードについて

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あたしゃ自分が脳死や心停止後まで自分の体をバラさないで欲しいとは思わない。
提供したい人がいて、提供されるのを待っている人がいるなら、移植はすればいい。
だが同時に、自分が脳死や心停止後まで自分の体を役立たせたいとも思わない。
これは、臓器提供の意思を表示するドナーカードを初めて見たときからの信念だが、
自分が自分の意思を表示できなくなった後の自分の体は、
自分のものではなく、家族などの残された人の所有物だと判断している。
たとえ家族と話し合って臓器提供YESと書いても、
実際にそういうシーンに至ったとき、家族が遺体を惜しく感じるかも知れないし、
NOであっても、誰かが助かるんだと説得されて提供しても良いじゃないか。
何より、死んだ後まで生きてる人に影響を及ぼそうとするのは傲慢ではないかと。

故に、臓器提供の意思を示すと言うこと自体を否定するのがあたしの意思だ。
何かあったときは家族の判断で、都合の良いように扱ってくれと。
こちらはYESでもNOでもなく、無関心を貫く。
これがなかなかわかってもらえなくてね。
無関心は悪いことで、たとえNOであっても関心を持つべきだと偽善を押しつけられる。
関心はメチャクチャありますってば。
強い意志を持って無関心でいるべきだという結論を持つほどに関心ありますってば。
ドナーカードでは、あたしの意思を示せる欄もなく、説明も出来ない。
カードの存在自体がポリシーに合わないから、断固持たない。
ただそれだけ。

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