拡散してる時って意地悪になるよね

人間ってのは誰かを不幸にすることが快感なんだろうな。
自分に得があることより、他人に損があることを喜んでいる場合が多いよ。
でも直接誰かに悪いことをしたら、その件で別の人に責められることになる。
たとえアンパンマンでも、何もしてないバイキンマンを殴ってはいけない。
アンパンマンにとって、バイキンマンが悪いことをしたら、殴る大義名分ができる。
「いや、アンパンマンはそんな悪いやつじゃない」って思うだろう。
これは、アンパンマンが悪いやつだって話じゃない。
アンパンマンを応援して、大義名分でバイキンマンの不幸に快感を得る視聴者の話だ。
すなわち子供であっても邪悪であり、見せる親も邪悪だ。
時代を超えて、古くからの全ての正義の味方が、大義名分の元に暴力を行使する。
悪いやつが悪いことをして、それをやっつけてハッピーエンドだ。
悪いことをしてないやつをやっつけるのは大義名分がないから出来ない。
正義の側からなら、誰にも責められず、むしろ応援されて暴力を行使できる。
元々備わった他人を不幸にしたい習性と、それを正当化できる大義名分で正義を語る。
あたしは別に、誰かが誰かを不幸にしようとしても、それだけじゃ気にはならない。
どうしても気になっちゃうのは、その悪意ある行動を正義だと名乗ってるからなのよ。
その本人も完全に正義だと思ってて疑わないだろうが。

韓国人が日本人の不幸を望むのも正義感ゆえであり、本気でそれが正義だと信じている。
たとえ自分たちがどれほど損をしようが犠牲を出そうが、悪い日本人を懲らしめたい。
日本人の味方をする人も悪でありまとめて懲らしめたい。
それは韓国では正義なので、韓国では大義名分になり、誰もおかしいと疑わない。
そして、別に韓国人が特別に劣ってるのではなく、日本人も正義感で誰かを不幸にしたい。
正義に該当するのであれば、どれほど残酷にもなれる。
正義になれることを求めている。
人の不幸を望む大義名分が欲しくてたまらない。

ここまでは例示であり、このことの本題はバイトテロ関連だ。
誰かがふざけて撮った動画を、正義感で拡散したやつの悪意が気になっちゃう。
拡散ってさ、これを広めたら発信者が困るだろうなって、一番先に思いつくじゃん。
店も困るけど発信者も困るし、これを拡散した方がよいという判断に悪意を感じる。
正義感において拡散した方がよいと判断し、自分が悪だとは思っていない悪だ。
正しいと信じて行われる悪を、拡散という行為に感じてしまう。
バイトでふざけた人を罰しろ、アップしたやつを罰しろ、企業を罰しろ、ってことよりも。
懲らしめようという正義感で、懲らしめて不幸にしたい悪意で拡散した人達が気になる。
いや良いんだよ、最初からやれば困るだろうとわかってイシシと笑ってやるのはいい。
そうじゃなく、その邪悪な懲らしめ行為を、正義感でやる人が気になっちゃうのよ。

あたしは子供の頃からずっと悪い人間だった。
だから、あたしを懲らしめることは常に正義だった。
あたしが誰かに嫌がらせをされたとしても、あたしもやり返すしお互い様だ。
公平だ。
しかし、あたしに対する嫌がらせは正義であり、あたしがやり返すのは悪だった。
だから、よその人があたしと同じ悪だとわかってやってる事には文句はない。
あたしと同じ悪なのに、正義という大義名分でやってるから、そこが気になってしまう。

蹴られてる犬の動画をアップして、助けたいんだっていう大義名分を言うだろ。
拡散も大義名分の元に行われるだろ。
でも実際は、悪い飼い主を懲らしめようとしてるじゃないか。
懲らしめてもいいやつはこれ見よがしに懲らしめ、その機会を探しまくっている。

締めくくると、正義って悪だよねってこと。
悪いことをするための言い訳が正義だよね。
正義を語るやつには正義はない。
悪だけが正義を語る。
戦争する時は両方が正義だしな。

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