ロジックAct.2

ジョジョが流行ってた頃、あたしのスタンドはどういう物かって思いついた。
顔の部分がコンピューターの画面になってる鳥で、名前はロジック。
論理的に導く事が出来ればそれを現象として引き起こすことが出来る能力。
そのロジックが約20年かけてアクト2に進化した。
両翼が天秤の皿になって、公平じゃない力を取り除き、敵も味方も同じ能力にする。
いやスタンドなんて本当はないけれども、スタンドは元の個性を反映するから、
自分で自分をどのように見ているか、それをスタンドで例えるとどうかと言う話だ。
当時のあたしは、筋道を立てて物事を考える個性が妥当だと思っていたし、
今はそのために不公平を取り除く事が全てだと思っている。
関係のない別スタンドではなく、アクト2という事になっている。



って、これはなんの話かというと、あたしは20歳で悟りを開いたけれども、
40歳でその仕組みとかまで明確に見えたという話なんだわ。
あたしの悟りは真実への到達であり、自分だけ到達しても他人には伝わらない。
なぜあたしは到達して、他人は到達しないのかというアプローチを探ってきた。
真実に到達したあたしは、他人の間違いを知っているわけだから、
それがどのように間違っているかを、一つ一つ筋道立てて説明できる。
でも、間違いが一つなら伝わるけれど、間違いを間違いで固めてると伝わらない。
ここにあたしはギャップを感じ、人間界と自分との間に距離が出来ていった。
その結果、どうせ伝わらない真実を伝えたい気持ちもどんどん失せていった。
他人に伝えなくても真実は真実なわけで、話しても話さなくてもなくはならない。
自分の情報は出さず、でも他人の情報だけ聞いて、自分との違いを比較する。
そして、なぜ人間は真実に到達しないか、どこが違うのかと感じることが出来る。
その自分が到達して以来、20年かけてわかった他人との違いが、公平かどうかだ。

人はいつも都合の良い方にまず考えちゃうから、公平でない答えに到達する。
それが間違いだと気がついても、また別の都合の良い公平でない答えを探す。
真実を探している人はみな、公平な真実がすぐ目の前にあるのに、公平でない方を選ぶ。
あたしは20歳の時、公平に目の前にある真実を手に取ったため、悟りだと確信した。
そしてすぐ目の前にあるよと、他人にも教えたくて仕方なかった。
教えても誰も手に取らないのは、目の前にあっても見えていないからだ。
ようするにブスなんだよ。
みんな美人ばっかり追いかけて真実だと信じて、言葉で説明しても納得しない。
ブスが見えてはいるけど、真実は美人だという偏った考えに縛られてるんだよな。
公平に考えれば、嘘か本当かは証拠でしか判断しないので、真実にしか到達しない。
でも各々の理想の結論ありきで、それに都合の良い証拠しか見えてこないんだわ。
ちゃんとあるのに見えないんだから、まぁ証拠の提出は無駄だよね。

ということで、20歳では真実に到達しただけだが、40歳でその方法まで見えた。
筋道を立てて考えれば到達するのではなく、筋道から公平でない物を排除すれば到達する。
感情と論理の分離は出来てるようで出来ていない。
本能と理性の分離は出来てるようで出来ていない。

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