悟りのバージョン2でた

あたしは20歳で悟りを開いたので、知ってることには答えを出せる。
ただ、よくテスト問題で設問自体に不備があると無効問題になっちゃうだろ。
多くの人が悟りに到らない理由がそれであると答えたら、納得出来ないかも知れない。
そこで、不備のある設問と不備のない設問について、まずハッキリ区別させよう。
人間の誰かが勝手に決めた正解と、人間が発見しただけの元々の正解ってのがある。
水は水素と酸素で出来ているが、このもともとある仕組みを人間が変更する事は不可能だ。
算数の答えももともとの仕組みだから、人間の都合で変更する事ができない。
でも正しい漢字は人間が決めた物だから、日本の偉い人が集まって変更する事ができる。
もともと仕組みが存在して人間が発見しただけの物は、答えももともと存在する。
そして誰か偉い人が集まって正解を決めた物も、設問には答えが存在する。
問題は、まだ誰かが正解を決めてルール統一が行われていない事柄だ。
これらについては、答えを出したくても、まだ答えが決まっていない無効問題になる。
悟りを開けば真実に到達し、真実が存在する設問と無効問題を見分ける事ができる。
アンパンマンの歌詞で、なんのために生まれたかの設問があるが、まさしく無効問題。
何かの目的で生み出された人はそれが正解、他の人は正解なしとなる。
なぜ生きるのか、何をなすべきか、何の価値があるのかも、全て無効問題だ。
もともと存在した正解、人間が作った正解、まだ正解を統一してない物の三つに別れる。
この、まだ正解を統一してない物に、統一の正解を出せば多くの人は悟りだと認める。
つまり、無効問題に答えを出さなければ悟りではないと思ってるわけだ。
そんな、ない物をあると言い張ってれば、そりゃ当然、真実には到らない。
「無効問題につき正解なし」と言う完全かつ唯一の正解を、あたしは悟りとして提出する。
そして、この件に関しては、答えがないからそれで終わりですよって事では決してない。
ここからが重要だ。

自分はなぜ生まれ、なんのためにこんなツラいだけの人生を歩んでいくのか。
生きるべきか死ぬべきか、そのことに、答えなしって言ったら誰も納得しないだろ。
そこに答えを出して納得するために、地動説と天動説ぐらいの逆転が必要になる。
だから、この話はやはり受け入れられない人の方が多く、悟りには到りにくいのだ。
見上げた先に真実はなく、足下にあるのに固い意志で見てもくれないという話だ。
ここで言う逆転とは、理由があって自分があるのではなく、自分があって理由があるのだ。
ここでまた水素と酸素の話だが、これ別に理由があってそう言う仕組みなわけじゃない。
誰かがそうあって欲しいとか、使命があって生まれたものでもない。
算数だって、願えば増えたり減ったりはしないわけだよ。
人間が決めた法律は、人間が変えようと行動して変えることだって出来るだろ。
なぜ生きるとかってのは、まだ決まってすらいないので、勝手に決めていいだろ。
それよりも、そんな設問に答えを求める自分というものが、まず存在するんだよ。
あれ?俺って、生きる理由を欲しがってないか?
そこよ。
あなたは生まれるべきでなかったし、生きるべき理由は一つも無い。
にもかかわらず、生きるべきだと勝手に決めつけて、ありもしない理由を求める。
正解が存在しないのに、正解は存在すると信じ、それを悟りだと思って追求する。
それそれ、その、生きる理由を欲しがる自分ってのが、間違いなく存在するのよ。
ここで逆転ね。
真実を書くぞ。
人は生きたいの。生きるべきだと言って欲しいの。そう言う仕組みで決まってる。
そうだ、水が水素と酸素で出来てるように、人は生きたいのだ。
仕組みなのだ。
これは誰かが勝手に決めたルールではなく、その前からもともと決まってたルールだ。
三つに分かれる正解のうち、真実が存在するのはこれのみだ。
つまり悟りはここしか存在しない。
仕組みだから生きてるし、生きる理由を欲しがる仕組みなだけ。
欲しけりゃ勝手に決めてモチベアップすればいいけど、それは真実ではない。
自分が生きていたいから言い訳してるだけ。
何に正解があり、何に正解がないかを区別し、正解がある部分に正解を出し切った。
これを悟りとして提出する。

20歳で悟りに到っても、説明が難しいと思い続けて42歳になってしまったよ。
バージョン1は一般人にはわかりにくく、バージョン2まで時間かかった。
今回はちゃんと受け入れざるを得ない説明を書けただろう。
でもいつかもっと誰でもわかるバージョン3になるかも知れない。

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