勝手読み
一般に、「読み」が当ったとか外れたという言い方をする。
自分が予測したとおりに事が進んだかどうかについて語る時、事前予測を「読み」と呼んでいるわけだ。
でも、囲碁の世界では、これを「読み」とは呼ばない。
外れることがあるようじゃ、「読み」ではなく「勝手読み」と言うことになっちゃうんだな。
詰碁の答えはたった一つだが、答えだけが重要ではない点が算数と似ている。
算数では、答えしか書かなくて良い問題なら、最終的に答えがあってれば正解になるが、
答えに至るまでのプロセスを書かなきゃいけない問題では、テキトーに出した答えは無意味だ。
詰碁の場合も、どうせ打てる場所は限られてるんだから、一手目だけなら当ることもある。
その偶然当ってしまった事に価値を求めても意味がない。
考えた結果として出した答えなら少しは意味がある。
でも、半分まで考えて出した答えだと、それは勝手読みでしかないんだな。
囲碁の読みってのは、ありうる応手の全てに対応することなのだそうだ。
一般に言う読みとは違い、外れる事がないのが囲碁の読みだ。
すなわち、相手がやりそうなことを一つに絞って応戦するのではなく、どう来るか全部想定しなきゃいけない。
といっても、碁盤は19×19で361箇所も打てる場所があるが、その全てを考えるのは不可能だから、
経験的にいくつかの場所に限定してから考えるわけだが、取りこぼしてるようじゃ勝手読みといわれる。
詰碁では最初から打てる場所が限定されてるから、その全部を想定してはじめて正解になる。
ただし、詰碁では「正解」に至る前に「正解の手応え」に至る。
相手の応手を一つ想定して成功しただけで、これは正解に違いないという思いが先行する。
相手の応手をもう一つ潰すことが出来れば、もうページをめくりたくてしょうがない。
だいたいそういう時は、本当に正解であることがほとんどだが、それでもまだ勝手読み段階だ。
相手の最強の抵抗という物がどれかを見つけていない限り、真の正解ではない。
例の八段までの紙上認定では、最初の一手と最後どうなるかを示さなければいけないが、
それこそが、最後まで読み切って真の正解に至ったか、勝手読みで偶然正解かを問う問題だ。
さすが有段者向けの問題は、要求することが厳しいな。
で、その最強の応手まで全部読めるようにするため、考える順番があって、
本来ならスペースを狭める手を先に考え、ダメなら急所に打つ手を考えるべきなんだと。
最初から急所狙いだと見えないようなことが、スペースを狭めるてから考えると見えるんだと。
詰碁を作る側としては、急所が意外な場所だって言う問題を出して読者を喜ばせたいけれども、
そういう問題ばかりやってると、ついつい、急所から先に打つ手を考えがちになっちゃうが、
そうならないように、ちゃんと順番を守る癖をつけましょうよと。
ようやく一回目を読み終えた「初段合格の死活」では、しつこいほどこの順番で解けと出てくる。
あまりにもしつこいから、ちゃんとその順番で解くようにだんだんクセがついてきた。
にもかかわらず、やっぱり意外な急所が答えになる問題が多いので、
正解に至る前に不正解の選択肢で考えすぎて消耗し、だんだん正解率が落ちてきた。
今までは、やるべきプロセスを省略して答えを先に求めるやり方でズルしていたようなもので、
正当なやり方でやればまだまだこの程度の実力なのかと、身の程をわきまえるに至った。
いわゆる勝手読みで、最も正解っぽいと考えた部分だけを想定するせいで、
相手の最強の抵抗までは思いも至らず、ぜんぜん問題を征服してない状態で満足していた。
これほど集中的に詰碁だけやって、まだろくに読みの能力も身につかず、道の険しさを痛感した。