[日記的なもの/未分類/2006]

畠山鈴香 / 2006-06-05 (月)

この人は自分の娘を亡くしていて、しかも事故ではなく事件であるという状況と、
さらに、納得いかない警察の対応なども重なったので、
世論としてはこの人を悪者にするのは気が引けていたわけだし、
あたしも書くのは控えていたわけだけど、誰もが最初からこの人を疑っていたはず。
「まさか」と思っている人より「やっぱりそうか」と思ってる人が極端に多いはずだが、
上記のような可哀想な状況だから、おおっぴらに言えないでいるだけだよな。
でも発見当日即逮捕でも良かったほどにこの人しかいなかったよな。
今なら、書くのを控えてきたこともおおっぴらに書ける。

女の子は水死だけど、男の子は絞殺で、もっと隠そうと思えば隠せたのに、
あえて発見されやすいように見える場所に遺棄されていたことから、
女の子の母が警察に娘の事件を再捜査させるためにやったのだと、
(もちろん曖昧な表現でだが)当日既にTVで言ってた人いっぱいいたじゃん。
公園から自宅までの間の家二軒の間にいても不審じゃない人の犯行だって、
(それも曖昧な表現で)犯人の家を二軒に絞ってたわけじゃん。
男の子発見直後のマスコミがこれほど真相に迫っているのに、
ずっと警察がボンヤリしていたという印象だ。
そんな無能な警察だから、女の子の方の事件も酷い捜査だったのは想像つく。

この人はね、「親だから当然無念を晴らす」みたいな事を言ったのが印象深い。
この「親だから当然」って話に、当然とは思えなくて強烈な反感を抱いた。
なんだろう、まるで「子供のため」であるかのような自己正当化ニュアンスで、
実はわが子の死が納得できない自分のためって印象がすごく不快だった。
死んだ子に同情はしても、この人には一切同情できなかった。
でも一応、昨日まではこの人を疑うのは不謹慎な空気だったので控えてはいたが。
たしかに事故にしては不審だよね、警察の対応も酷いね、でもこの親はムカツク。
これもたぶん、多くの人がそう思ってたはず。

今日になって、母親がマスコミとケンカしてるシーンが取り上げられ、
この人ならやりかねないなと納得させる方向で動いているのだが、
今必要なのは、この人をこれ以上イメージダウンさせることではなく、
一貫して近隣の住民を再捜査しろと要求し続けて来た点のまとめ直しだ。
たしかに女の子の死も不審なわけで、事故でないならやった人がいるだろうと、
犯人は近隣住民だとは全然言い切れない状況だが、
この人は間違いなく近隣住民に対して疑いを抱いていたはずだ。
情報提供のビラみたいなのが成果を上げなかったことでも住民に怒りを感じたろう。
娘が近隣住民全員に殺されたという思いが生じても不思議ではない。
善なる我が子が殺されたのだから、悪なる他人の子は死んで当たり前だろうさ。
当然これは単なる思いこみの勘違いだが、母子家庭で子がいなくなれば、
残された母はそういう気分になっちゃうのもわかる気がするよ。
そうさせたのは他ならぬ、無能で非協力的な警察だがね。

さて、死んだ人には脳の活動はないので、喜んだり悲しんだりはしないのだが、
オバケになって人知れず徘徊してる娘がいるという風に想像すると、
自分の死が事故で片付けられた上に、親は無関係の人の子を殺すし、
そのせいで捜査が撹乱されたしで、ホント迷惑な親だと感じてるよな。
「親だから当然」なんて勘違いしてる事への不快感は正しかった。
続く。。。




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