今年は白が流行
安室奈美恵のファッションについて評論家がテレビで言ってたのだが、今年は白が流行でしかも全身ではなく上だけ白で、それが安室奈美恵のちょっと日焼けした肌とのコントラストで大変素晴らしいんだそうだ。あたしはその流行って言う言葉にやたらとひっかかったのだが、コメンテーターはその流行が白だって事を聞いて大変参考になったと言っていてたので、さらに深くその流行って言葉が気になった。
その今年の流行ってのがどうやって出てくるのかって事を、あまりひねくれずに捉えると、やっぱり自分なりの個性って事を追求してだと思うんだよ。去年は去年で流行があって、多くの人がその流行に乗っかって同じ服装をしてると、自分なりの個性を求める人はそんなみんなと同じような服装はしたくなくなるわけで、かといってあんまり我流で自分だけのファッションをしちゃうと浮いちゃうので、去年のファッションを良しとする人から見てもいいなって思える範囲内での、最も去年のファッションからかけ離れた格好ってのを、自分なりに追求出来る個性を持ってる人は自分で開発するわけだ。で、あたしは去年どんなファッションが流行ったか知らないが、その去年のファッションを今年もするのが嫌だと思って自分なりに違う格好をした人ってのは世界中にいっぱいいて、そのいっぱいいる人のうちで今年は白が一番多かったか見栄えがよかったかで、それを見て誰かがマネして、今年の流行は白ってなったんだな。ひねくれた考え方をすれば、流行なんてどうせ誰かが仕掛けてるんだから参考にするだけバカバカしいともとれるし、安室奈美恵の白が前者のようなプロセスで生まれたか、それともどっかのステマなのか知らないが、果たして安室奈美恵が白を着てることは褒めるに値する事なのか、参考になったとコメントすることなのかだ。
つまりは、今年の流行は白だって評論家にバレた時点で、評論家のみならず他の人もみんな白にシフトしちゃったって事であり、自己表現として白を編み出したような人にとっては既に白を着ることは非個性的な行為になってるから、今こそ最も白を着たがらないはずなんだよ。今白を着るって事は、流行っててみんな着てるからみんなと同じ白を着ておけば少なくとも時代遅れだとは思われない無難な格好、すなわちプラスでなくともせめてマイナスでさえなければ良しとする事なんだよ。あ、これは一般人の場合であり、そのコメンテーターとかのレベルであって、テレビに出るにあたって去年の流行みたいな格好をするくらいならせめて今年の流行を着ておけば、古いなぁとは思われずに済むから安室奈美恵が参考になるわけだ。ところが安室奈美恵本人からしたら、アムラーなんて言葉を生み出したこともあって自らが流行を引っ張ってきたような人物が、世界中でこれが流行だって言われててみんなマネしてるような格好を自分でもマネして着るってのはむしろ恥じゃねぇのかと。安室奈美恵も焼きが回ったって思われるだろ。もし、本人が流行だってわかっててもなおかつそれを着ているとすれば、それこそ自己表現ではなくステマで着てる可能性が高い。
あたしがひっかかったのは、安室奈美恵が今年の流行を着ているとテレビで喋った評論家の方だ。安室奈美恵が流行を知ってて流行のファッションを着ているとすれば、安室奈美恵は個性を失って後追い型の無難な格好をしなきゃ人前に出られないほど落ちぶれたと言いたいのか、それとも安室奈美恵がどこかからお金を貰ってあえてこの格好を流行らせようとしてると言いたいのか、どっちかしかないだろって事。安室奈美恵は自分なりのファッションセンスを持っていて、流行のマネをするのではなく自分なりのファッションを追求した結果、たまたま今年流行のファッションとかぶってしまったよと言う事であれば、そこはあえて触れて欲しくないことであり、どのパターンであっても、安室奈美恵にとって安室奈美恵のファションが今年の流行と一致することは、クローズアップされてメリットのあることじゃないのではないかって事だ。
東京大学物語のように一瞬でこのような長文を考えて、テレビに出た評論家をおかしいと思ったわけではなく、流行だっていう言葉になんとなく違和感があっただけで、その後しつこく考えてたらもう一回その流行って言葉がフィーチャーされたので余計おかしく思えた。結論として安室奈美恵は、焼きが回ったかステマかカブりか、あるいはそもそも白が流行だって事自体が評論家による嘘か、どれであっても安室奈美恵が今白を着たという点を評論家がフィーチャーする行為がおかしい。まぁ、よく考えなくても一発でおかしい気がしたから、その後の同じ評論家が3Dの時代でどうのこうのみたいな話をしたのも全部いい加減に聞こえて、専門家みたいなポジションでよく考えないでベラベラ喋って、口八丁で飯が食えて楽な商売してるなぁという印象を受けた。