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2012年 5月 16日 のアーカイブ
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 夏に向けて、今年も電力が足りるかどうかみたいな話もまた盛り上がってきて、足りなんだったら原発を動かさなきゃって人達がいたり、そもそも足りないって話が信用できないって人達がいたりして、連日和気藹々とやってるようだ。でも、そういうのを見てて決定的に食い違ってると感じるのは、原発を動かしたい人は原発を安全だと思ってるし、原発を動かしたくない人は危険だと思ってるという事なんだよね。安全だという前提ならそりゃ動かした方がいいって結論が出るし、危険だって言う前提なら間違いなくやめた方が良い。んでもって世論的には原発は危険だって言う意識が高まってしまって、少なくとももっと安全に運用するための、バカでも分かる対策が出てこない限りは、その意識は払拭できない状況にある。もちろんそんな安全対策が早々に出てくるわけもなく、現時点での安全対策はこれまで以上に気をつけますっていう程度の物である以上、世論は原発を危険だと判断し続け、動かすべきでないと判断し続けるはず。たとえ電気代が上がっても、電力会社への怒りという形でそれを表現し、原発を動かさずに電気代を安くしろっていう方向でずっと行くだろう。こうなっちまったらもう日本では、原発というより電力会社への不信によって、安全な運用は出来ないというイメージが固まって、もう原発はなしの方向で行くしかない。それに逆らった人はみんな損するだろうね。小泉旋風の時に小泉に逆らった人みたいに、今原発オシの人は何もかも失うだろう。

 でも原発オシの人っては確実にいるわけで、その人達も危険と承知して押してるわけじゃなく、きっとそこそこ安全なつもりで押してるはずなんだよ。危険だけど、事故も起るだろうけど、いっぱい人が死ぬだろうけど、それでも原発って言ってるわけじゃなく、事故は気をつけて防ぎ、天災には万全の対策をすれば人が死なないつもりで押してるはずなんだよ。それを専門家が言ってたりする分には、まぁそれなりのデータがあって言ってるんだろうから良いんだけど、問題は原発の地元民が、快適な暮らしを捨てられずに原発を推進しちゃってる事なんだよね。それって、例えば飛行機は安全かって話をすると、まぁ普通の人にとっては安全だし、各国大統領が飛行機で移動してるくらいなのに、飛行機が危険だって言う方がおかしいけど、それでも飛行機は落ちるわけで、さて安全か危険かって話だよな。飛行機は便利すぎて、ごくたまに落ちるという危険は無視できてしまうわけよ。もっと原始的な話をすれば、火は便利すぎて危険を無視してでも使う訳よ。すなわち原発地元民にとって原発ありきの生活は、よその原発がメルトダウンしてる報道を見ても無視できるくらい、よっぽど優遇された快適生活だって事なんだよ。

 そこで思ったことは、原発で事故が起ったとき、原発地元民は被害者ですか、それとも加害者ですかって事だ。推進してるんだから紛れもなく加害者だよ。一見、原発の危険性について情報を与えられなかった被害者に思えるが、そうではなく、快適生活で原発の危険性に目をやらなくなり、自分に都合の良い情報だけ取り入れて暮らしてきた、紛れもなく加害者だ。今、まだ事故が起ってない原発地元民に関しては完全アウトだけど、それだけではなく、すでに事故が起った所だって、そう堂々と被害者ヅラしてられないんじゃないのか。その点を突いていけばもっと原発を悪者に出来そうだけど、さすがにすでに酷い目にあった人を非難出来る空気はない。そしてこのままだと、たぶん世論が勝って原発は少し減るけど、ほんの少しだけってのが日本らしい落としどころかと思う。

 ウチの青森県も原発のおかげで多少得してきた地域なわけで、何か起る前に脱加害者を目指すべきだとは思ってる。つか、金があるんだったらそれを原発地元民の洗脳に使わずに他に使う事も出来たのにな。