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2009年 2月 5日 のアーカイブ
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よく、だまされる側にも問題があると言われるが、問題はあるけど悪くはない。
悪くはなくても問題はあるわけで、過剰に保護する必要はないだろう。
たとえば誰も事故に遭いたくて遭うわけではないが、不注意のせいで事故に遭う事はある。
そんなときに、注意すれば防げたはずだって思わない人は、思う人より確実に事故に遭いやすい。
それと全く同じで、単にだました人を責めてるだけじゃなく、だまされた人も問題を自覚すべき。
もちろん、ほとんどの人は何かにだまされてるだろうし、人の事は言えないのだが、
それほど人はだまされる物であり、だまされて当たり前なんだ。
だからって、事故は起こして当たり前だから起こして良いと考えちゃいけないのと同様に、
自分はだまされる人間だからなるべくだまされないようにと自覚し、
そしてだまされても大丈夫な余裕を持って、スピードもお金も出しすぎるなって事だろ。
悪くないのにだまされて損をした人は、気の毒だと思われるようじゃいけない。
だまされたのに大した損も出ないで良かったねって思われなきゃいけない。
だまされてちょっとした損で済めば幸いであり、同情する必要はなく、
それ以上の大きな損は本人に問題があり、やはり同情の余地なしだ。
悪くはないが救済やら未然防止やらのために過剰反応する必要はないんじゃないかと。

今朝、二つの詐欺事件をテレビで取り上げていた。
一つは円天ので、もう一つは主婦という名のトレーダーのだ。
どっちも、お金を持っている人に出資させたが使ってしまったから返せませんよと言う詐欺だ。
この人達のやった事を正当化するつもりはないが、あたしはその金集めの才能に憧れる。
何かを作って売るわけでもないのに金だけ集めるなんて、よっぽどの才能だと思う。
金を集める能力さえあれば、それを資金にして増やす手段はいくらでもあるわけで、
資本を増やす才能はあっても集める才能がないせいでうまく行かない人はたくさんいる。
逆に彼らの場合、集める才能はあったが増やす才能がなかったのが非常に惜しい。
形としては、嘘をついて借金して踏み倒しただけだ。
しかし借金する人は、金がないから借りるのであって、
現時点でない金を将来は増やして返しますと約束するわけで、
将来は本当の事になるかも知れないが、現時点では嘘をついて借りるわけだ。
この辺の、分不相応に借金できるということが、すごく憧れるうらやましい才能だ。

テレビでは「こんなうますぎる話に乗る方がおかしい」みたいに言われていたが、
現実はどこまでがうますぎる話でどこまでがうますぎない話か区別は難しいと思うんだよ。
そもそも投資って、なるべくうまい話を見つけて乗る事で金を増やすものなんだから、
うまくない話に投資しても儲からないし、うまい話にはリスクを覚悟して投資して儲けるし、
リスク回避のためにいろんな所にちょっとずつ投資してる人は、うますぎる話にも少しは出して当然だろう。
いくつか投資したうち一つが詐欺で大損だって事ぐらい覚悟してやってるから、同情は不要だよ。
問題は、うますぎる話だけに集中して投資してしまった人達だが、
そう言う人は本人の性格の問題で、悪いとは言わないが、やっぱり同情は不要だと思う。
よその人より大きなリスクを抱えやすい人って、たまたま今まで運で金を儲けてきただけだから、
本来のお金がない状態に戻るだけであって、失ってるわけじゃないと思うんだよ。

老人が狙われるなりすまし等の詐欺だって、自分で守れないほどの貯金を持ってる人が狙われるわけで、
本当にお金に困ってる人は、詐欺に完全にだまされたとしても、払うお金すらないのだ。
そっちの方がかわいそうだ。
だまし取られるほど金を持っていながら、自分でそれを管理できると過信する人には同情できない。
いっぱしに年寄り扱いされたくない気持ちだけは強くても、
現在の自分の能力がいかに衰えて、それに不釣り合いな金をいかに多く持っているかの自覚が足りない。
昨今の老人が狙われる詐欺の増加は、こうした自信過剰の老人による貯め込みさえ防止すれば、
狙う側もいくら狙ったって無い金は取れないわけで、壊滅状態となるはずだ。
これも、だまされる側が悪いとは言えないが、少なくとも何らかの問題があって金もある人で、
だまされる金すらない人よりはだいぶマシな人を、過度に保護する必要はない。

詐欺の報道がなされるたびに、自分で守れないほどの金がある人を哀れむのはやめろと思って見ている。
本来の能力相応の生活に戻るだけで、今までが贅沢すぎただけの人には、同情する方がおかしい。
贅沢すべきでない人が贅沢できなくなったと嘆いても、むしろ過去の贅沢分が余計なくらいだ。