バラバラ完了
規則を決めたら、それを破った者には、たとえ事情があっても一律のペナルティを科さなければ機能しない。
例えば、のっぴきならない理由で急いでいても、スピード違反は違反であり、
違反しなくてもいいように早く出発するとか、遅れてもいいように手を打っておくとかしなきゃいけない。
事情があれば違反するつもりで生活してる人は、あっても違反しないつもりの人より楽してるんだから、
それだけでもペナルティーものであって、実際に違反したあとに急ぎの事情を話して許して貰うなど論外だ。
同様に、いかなる犯罪も、あわよくば捕まっても許して貰えると思われたら、規律は崩壊する。
よその国は知らないが、日本では、罪を犯しても精神鑑定で責任能力が問われたりする。
または、同情すべき環境にあったから刑が軽くなるとかいうこともある。
で、すでに罪を犯したことは確実でも、今度はなぜ罪を犯したかの裁判をやっているのが、すごく無駄だ。
最近そう思わせたのは、「バラバラ完了」でおなじみのカオリンの報道だ。
夫も浮気している、妻も浮気している、浮気したのも相手のせい、結婚前から続いた云々、とか、
事件の原因の原因の原因は、最終的に親が彼らを産んでしまったことまでさかのぼりそうな勢いで、
なぜ裁判で、法律の専門家が集まって、お互いどうしようもなくなった二人の身の上を検討するのか。
やったかどうかを判断すればいいんであって、それ以上追求して首を突っ込む理由は一切ない。
何罪は何年ですと一律決めてしまって、型どおりのペナルティを与えればいいじゃん。
人間なんてあまり立派なものじゃなくて、環境に左右されてどんな人にもなってしまうわけで、
事情があって罪を犯した人がかわいそうなら、事情もなく罪を犯した人だって同じくかわいそうじゃないか。
環境のせいで悪いやつに育った人も、環境のせいでかっとなってやった人も、それで逃れさせてはいけない。
どんな事情でやっても、同じ事をやったら同じペナルティを与えるべきだ。
この間までは同情を買うための裁判をやっていたと思ったら、こんどは正常じゃなかったという裁判になった。
そんなことを言い出したら、あたしのような正常じゃない人間は犯罪し放題じゃないか。
あるいは、犯罪を犯す前にタップリ酒でも飲んで、酩酊状態でやれば無罪かよ。
たとえ、犯罪の瞬間に責任能力がなくても、その後始末でずいぶん楽しそうなメモ残すじゃん。
逃れることが出来ると期待しての隠蔽工作ができる人に罰を与えないというケースがあって良いのか。
こうしてみると、犯罪者の諸事情に立ち入ることなど無駄以外の何物でもない。
やった理由とか聞くな。
そうした上で、聞いてもいないのに理由を話す人には、「言い訳罪」も適用しろ。
やったかやっていないかの裁判以外は時間と金の無駄遣いだ。