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2008年 2月 26日 のアーカイブ
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あたしは教わったことしか出来ない。
せっかく人間に生まれたのに、知識を組み合わせて新しいものを生み出す能力が低い。
そのことを、囲碁を通じて再認識した。

某・詰碁に強くなる方法を説いたサイトで、簡単な詰碁をたくさん「覚える」ことで、
難しい詰碁でもそれを思い出して解けるようになるという感じで書いてあった。
そうか、普通の人はそうなのか。
でもあたしはアホなので、やったことがない問題では何も思い出さない。
覚えちゃった詰碁はこれ以上繰り返すのも面倒くさいし、覚えてない詰碁は全然わからん。
もちろん初挑戦でも解ける問題があるが、記憶の再生とか応用で解いている実感はない。
それでも、以前の自分には解けなかったであろう問題が解けるようにはなっているので、
何かしらの能力は身についているはずだが、一体何が身についたのか。

基本を教わった後、さぁ応用しなさいと言われても何も出来ないのだが、
応用の仕方も教えてくれると、教わった応用の仕方だけは身につけることが出来る。
算数の応用問題も、他にいろんな応用問題を解くことで、応用の仕方を身につけて、
いざ、テスト本番で初めて見る応用問題の場合でも、どう応用するかに慣れて正解できていた。
正常な人間は、算数の計算問題しかやらなくても、文章問題に応用して解く能力が備わっているが、
あたしは正常じゃないので、文章問題も多くやって、計算問題を応用する訓練もしないとできない。

この事実から導き出されるのは、あたしのような応用力のない人間は、
簡単な詰碁ばかりやっても、簡単な詰碁に精通するばかりで、何も良いことがないということ。
簡単な詰碁も難しい詰碁も両方やって、応用して解く訓練が必要だし、
実戦に活かすためには、実戦をやって応用する訓練が必要だということ。
きっと日々感じる成長の実感は、難しい問題をたくさんやったことで、応用の仕方が身について来たんだ。

普通の人は「簡単な詰碁をたくさん」だけで良くても、あたしはそれだけじゃダメ。
訓練を実戦に活かす方法まで教わらないと何も出来ない。