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2008年 2月 22日 のアーカイブ
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例えば泥棒に入られたとする。
その泥棒とはちあわせになって、何も取らずに逃げ出したとする。
そしたらあぶないけど捕まえたいよな。
武器を持ってなければ自分で追いかけるし、大声でドロボーって叫んで周囲の協力を求める。
車で逃げたらナンバーを覚えるし、逃がした場合は指紋とか調べて貰いたいから警察も呼ぶ。
たとえ何も取られていなくても、その泥棒は捕まって罰を受けて欲しいと思っちゃう。
どうせ泥棒程度で捕まったってまたすぐ出てくるだろうし、泥棒するような人間は簡単に更生しない。
確かにそいつには罰を受けて欲しいけど、罰を受けた所で多分何も変わらない。
だから、本当はそいつを捕まえることはあまり重要じゃなくて、次に狙われないことを考えた方が良い。
そいつだけじゃなく別の泥棒もいることだし、そいつだけをどうにかしても効果は薄い。
でも、よその家ならいざ知らず、自分の家に入った泥棒は絶対捕まって欲しい。

あたしの場合は、自分を守りたいからとか、再犯を防止するために捕まえたいんじゃなく、
悪い事するやつは全員捕まえないと不公平を感じるから、つまり、悔しいから捕まって欲しい。
殺人事件でいえば遺族の無念にあたる感情が、たかがコソ泥にも該当する。
自分はちゃんと法律を守って、悪い事しないように生きているのに、
世の中には悪いことで生計を立て、真面目な人より金の巡りがいい人がたくさんいる。
そんなとき、自分も金が欲しいとか思うよりまず、悪いやつに不幸になって欲しい。
年金ドロボーした人を今さら捕まえてもお金は返ってこないが、それでも捕まえて欲しい。
悪いことをした人は憎い。
公平な正義を語ってるだけだが、元となる感情は、他人の不幸を望む憎しみに過ぎない。

他人に不幸が訪れた至福の時、ざまーみろって叫んでスカッとする。
よその人が失敗してスカッとしても、自分が成功しやすくなる訳じゃないのに。
誰に対してもざまーみろって思う訳じゃなく、失敗して欲しい相手が失敗したからそう思うのであって、
理由はいろいろあるとしても、誰かの失敗を望むなんて、すごく無駄な感情だと思う。
本当は、誰かが失敗することより、自分が成功するのが何より大事。
本当は、他人が不幸になるより、自分が幸福になるのが何より大事。
それはわかっているのだが、なぜか、自分の幸福を犠牲にしてでも、相手に不幸を与えたい時がある。
泥棒に反撃とか報復とかされるリスクを負ってまで、絶対捕まえなきゃいけないものでもないだろ。
要は自分の家に泥棒に来ないで欲しいんであって、次からは別の家に行くだろう泥棒は逃げてもいい。
泥棒はそいつだけじゃないんだから、そいつを含めて誰も泥棒できないよう用心する方が先決。
そいつを必死で捕まえるリスクは、後のことを考えて割が合わないかも知れない。
だのにどうしても捕まえたい。

自分が多少痛い目に遭おうとも、他人を打ち負かしてもっと痛い目にあわせたい感情が存在する。
自分に害を与えた人間に、何らかのリスクを背負ってでも仕返ししてやりたい感情が存在する。
憎いやつに害を与えても、今度はまた報復される恐れが増えるだけで、何の特もない。
憎むという感情があるせいで、損をすることはたくさんあるだろうが、特をすることは何もない。
だから、憎むという機能は、少なくともあたしにはもういらない。
いらないけど、自力では取り除けず、人を憎んで損をすることがこれからもあるだろう。
もし、人を憎んだりする機能に該当する脳の部位や遺伝子を操作できる治療を開発中の人は、
あたしがモルモットになるからやってみてくれ。

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三段合格の死活に手を付けて、150問中70問まできた。
初段合格の方は前半やさしく後半難しいという構成だったので、
おそらく、三段合格もここまでの70問より、ここからの80問は難しくなっているはずだ。
その、簡単と思われる前半の70問については、たしかに、頑張ればどうにかなる程度の難易度だ。
楽しい。

その前にやってた白江式とは、問題もたくさんダブっているし、コンセプトも似たようなもの。
あれとかぶるということはつまり、一つの問題に答えが三つあったりする所も一緒。
こっちの本でやるのは初めてでも、別の本で同じ問題をやった記憶が甦り、一手目の正解率に驚く。

白江式とかぶる問題の他には、切り違いから発生した形、定石の続きも載っている。
切り違いの形は攻め合いになる形なので、手数を数えて解かなければならず、慣れてないので難しい。
定石の続きは、石田芳夫の詰碁とかぶり、正解の手順しか暗記してないけど対処できる。
そう思ってると、次の問題では変化されたシーンが出題され、考え直す事になる。
今までやって来た詰碁は、一題一題が個性的なものが多かったため、
死活を理解したからではなく、問題そのものを暗記したことによって、正解手順が自然に思い出された。
ところが、こうして、似た形ばかり連続して出題されると、どれがどれだかわからなくなってしまい、
暗記では対処しにくくなり、本当の実力が知れてくるってことなのかも知れない。

初段合格の死活についても、正解手順の暗記ぐらいしかできない難しい問題があったわけで、
三段合格でも、後半はそういう難しいのがいっぱいあったとしても当然のことだ。
手順暗記しかできない難問だらけの本なら挫折していたが、考えて解ける問題が多くてちょうど良い。
これ以上やさしかったら、やさしすぎてもっと別の本を買いたくなるので、このくらいで良いかもしれない。

三段合格を読んだ後、まだ福井の詰碁レベル2とレベル3も読まなきゃいけない。
でも今回は、先に進むより復習を何度もやりたいと思わされた。

あたしのように、囲碁というゲームにあまり興味を持たずに、詰碁ばかりやってる人はあまりいないだろう。
囲碁が面白くなければ、囲碁のためのトレーニングである詰碁もやらないだろうし、
囲碁が面白ければ、面白い囲碁をやるのを優先するから、あまり詰碁に時間をかけられないはず。
詰碁が解けない人同士が、囲碁を成立させてお互い楽しくやってるなんて考えられない。
あたしはこれほど死活をやってもまだ、複雑な終局判定は間違いそうだと不安になっているというのに。

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