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2009年 11月 4日 のアーカイブ
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せっかくリキッドロンで、普段の自分より筋肉が付きやすい状態でトレーニングしてるんだから、
普段よりついついトレーニングを多くして最大限の成果を上げたいと思ってしまうが、
あんまり急にいつも以上のトレーニングをしてケガしちゃったら元も子もない。
自分でもっと出来るという感覚があったら、そりゃもちろんもっとやるべきだろうけど、
特別な薬物で強化しているという自覚があるもんだから、本当にもっと出来るのか、
それとも薬物のせいでもっと出来る気がしてるだけで、これ以上やったら怪我するのか不安になる。
体をこわすこともいとわず危険な薬に手を出す連中なら、当然、多少無理する方を選ぶだろうが、
健康のため、危険が少ないことを十分確認した上で、安全な範囲で薬を使用している人だと、
たとえもっと出来そうでも、なるべく緩やかにレベルアップしていこうとする物じゃなかろうか。

スクワットでは、以前はとにかく膝が前に出ないことだけを意識していたが、
そうするとお尻を後ろに出しすぎ、上体が倒れすぎて、腰の負担が大きくなっていた。
それを改善すべく、なるべく上体を起こしたままスクワットするようになって、
そしたらどうしても以前よりは膝が前に出てしまって、膝をとるか腰をとるか見たいになってきた。
両方大事にしたくて気をつけてはいるが、上体を起こして膝も出さないなんて、人間の体じゃ無理だ。
バランス上、少しは上体を倒すし、少しは膝も出るので、かなり慎重にやっている。
また、上体を起こしたことにより、同じ重量でも少し深くお尻を落とすようになった。
この、フォームの微調節の影響か、膝がダメージを受けてる感覚がある。
痛いってほどじゃないが、歩くと違和感は感じる。
スクワットは、3セット目の途中でもうパンパンで動かせないって状態になるくらいまで頑張ってるが、
膝や腰を壊すほどやるつもりはなくて、筋肉には効いて膝や腰には効かないバランスを見つけたい。

コンセントレーションカールでもワンハンドローでも、今は目的の筋肉より先に手首が限界だ。
手首の筋肉が限界になって、痛いのは筋肉ではなく手首の関節だ。
関節に負担が行かないように筋肉があるわけで、その筋肉が疲れ切るとそりゃ関節が痛いさ。
そのままトレーニングして、手首を支える筋肉が鍛えられればいいが、
鍛えられる前にもっと重いダンベルを扱おうとして関節を痛めるのが怖い。
手首さえ痛くならなければ、もっと重いダンベルを扱えそうな手応えはある。
もっといけそうだけど、手首でケガしたくないから足止めだ。

ともかくケガしたら休まなきゃいけないから、ケガしたくないし、
たとえ少しくらい休むとしてもせめて、リキッドロンを摂取する期間は休みたくない。
これはケガに限った話じゃなく、病気もリキッドロンの摂取が終わってから来て欲しい。
新型インフルエンザのワクチンがまだまだ摂取出来ないので、今だけはインフルエンザに来て欲しくない。
旧型の予防接種はしておいて良かった。
新型はオフの時ならかかっても良いと思ってるから、むしろ、オンにかからないためにオフにかかりたい。
まぁ、そう都合良くは行かず、ひょっとしたらもう感染して潜伏期間かも知れないが。

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ディオは石仮面で吸血鬼になるとき、人間をやめるなどと言っていたが、
新しい何かになるより、今の自分を捨てる事をアピールした彼が、果たしてどれだけ人間を捨てれたのか。
フィクションについて論じても意味がないし、まして、少年誌の無理矢理な連載だからな。
しかし、ディオの存在は人間とそうでないものの視点について投げかける重要な役だったので、
あえて、向こうが考えさせようとしてるんだから、付き合って考えてやるだけだ。

ディオは自分では不老不死などと言っていて、確かに太陽アレルギーという弱点はあっても、
それさえ回避して夜しか出歩かなければ完璧な存在であるかのように思いがち。
しかし、ディオの真の弱点は、活動のエネルギーが必要という点で、所詮は生物だったことだ。
多少のケガでは死なないけれども、修復するためにはエネルギーが必要であり、
脅威のパワーを持ってはいるけれども、やはりエネルギーがないとずっと活動し続ける事は出来ない。
エネルギーを補給するために吸血をするしかなく、エネルギーが切れると動けない。
いざというときは吸血するためのエネルギーだけを残して休眠するわけだが、
吸血するために必要なエネルギーすらなくなっても、太陽にさえ当らなければ眠り続けるかも知れない。
しかしそうなってしまったらもう助かる見込みはなく、結局エネルギーは常に補給が必要だ。
自分にエネルギーが足りているかどうかを、自分で生理的に感じる事が出来なきゃいけないわけで、
それが人間で言えば空腹であり、ディオもディオなりの空腹に応じて食事をして生命を維持する。
今まで食べたパンの枚数が云々というセリフが出てくるが、まさにパンが血に変わっただけで、
普通に空腹で食事をする、実に生物らしい生活をしている事がわかる。
人間をやめたかったわりには、食べるものが違うくらいじゃやめた気がしないだろう。

ストレイツォにも言われていたが、ディオの性格は実に人間くさい。
人間をやめると言ったクセに、どこまでも人間に関わり、人間の偉いやつとして生きようとした。
人間の言葉を話し、見た目も人間で、人間を支配し、人間に勝ち、人間の王を目指した。
例えば犬ごときに人間の力を見せつけても勝った気にはならないし嬉しくない。
同様に、ディオも人間ごときに力を見せつける意味など無いはずなのに、全力で勝ちに来る。
一応、彼は人間ではなくジョースター家にこだわったことになっているが、
彼にとっては、ジョースター家を倒してようやく人間を捨てられるという事だったのだろう。
つー事はやはり最後まで、人間を捨てる事など出来ていなかったのだ。
彼は単に体質が変化した人間であり、人間をやめたわけではなかった。
他の人間が持っていないほどの力を得ることは出来たが、人間を捨てる事は出来なかった。
そして、あくまで人間の枠に入っていたクセに、人間の枠から出たかのように振る舞っただけだった。
強さを得たうれしさで、弱さまで捨てた気になってはいただろうが、実はまだまだ弱い存在だった。
それはスタンド能力を得た後もだ。

あたしは生きるのをやめたいと思わない日はなく、よく、ディオの人間をやめるというセリフを思い出すが、
彼のように強さを得る事によっては何も解決せず、やはり人間ゆえの弱さをどうするかだ。
やめたくてもやめられないし、弱さは決して克服できないので、弱さをあきらめ許すしかない。
人間に甘んじるという表現で良いのか。