うちに竪穴式住居 #2
嫁は完成品が欲しいだけだから、どうやって作るかの部分にはあまり興味を持っていないし、
実行部隊は設計したり作ったりが楽しくてしかたないのだろうが、
あたしは制作途中をみてるのが面白かった。
ただ、残念ながら、作業員に紛れつつ腕組みして見てるだけというわけにはなかなかいかない。
見てないで、掘るべきと分かっているところは掘り、斬るべきと分かっているところは斬るしかなかった。
自発的に集まった他の作業員とは違って、作る事を楽しむ気はなかったので、
作っているところを見て楽しみつつ、その脇で木を斬る作業に没頭していた。
いわば、必要な長さの木をひたすら供給し続けるゲームだった。
1日目は主に腕の筋力でのこぎりを引いていたらしく、どんどん腕に力が入らなくなっていった。
2日目は腕があまり動いてくれなくて、それでも需要のある限りのこぎりを引き続けた。
腕が動かないのにのこぎりを動かそうとすると、自然に体ごと前後する。
1日目と2日目は別の筋肉を使ってのこぎりを動かしていたみたい。
2日目の方がコツをつかんだ実感はあるが、それでも1日目の方が速く斬ってたような気がする。
そのコツをつかんだ状態で筋肉痛も治ってたら、どうやるのが正解かに到達できそうだったが、
今回はもうのこぎりはおわりだし、開眼には至らなかった。
ひと引きでたくさんオガ屑が吹き出た時の手応えが気持ちいいので、ついつい全力で斬ってしまい、
気がつくと体中が痛いし、疲れが抜けなくて現在にいたる。
知らない若い衆がそれなりの人数あつまると、知らない人生をそれなりに垣間見る事になる。
若者はみんな何かやりたいし、何かになりたいんだなということを強く感じた。
あたしは何もやりたくないし何にもなりたくないし、そこが根本的に違っている。
よその人は頑張って何者かになって、頑張って何かをしようとしているが、あたしは頑張りたくない。
怠けて何もしないでゴロゴロしているのが究極の願望であり、
それが出来なければ、なるべく楽な仕事をやりたいというのが第二希望だ。
第一希望から仕事をしたいなんて、そういえば思った事がない。
仕事はしかたなくやるものとしか思ったことがない。
好きなもの、得意なものさえ、仕事でやろうなんて思えない。
面白くてきつい仕事より、つまらない楽な仕事を望む。
この辺のギャップは一生埋まらないだろうと感じた。
あと、「生きるという作業ゲー」っていうタイトルで何か書こうと思ったが、
疲れてそのことを深く掘り下げて考えるまでには至っていない。