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2008年 8月 5日 のアーカイブ
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以前は、出川とか松村とかの、お笑いの人がバツゲームをやらされる番組が多かったが、
最近はお笑いの人がネタを見せる番組がずいぶん増えた。

イロモネアとエンタの神様が同じ日に放送されているが、
あたしはイロモネアで声を出して笑ってるし、毎週楽しみで見逃したくないから、
土曜日になると今日はイロモネアが入るかと、必ず確認する。
第二四半期はバレーボールがあったりルーキーズのスペシャルがあったりでだいぶ不定期だった。
で、同じ日に放送されるエンタでは一度も笑わない日があるし、楽しみにしてないので、
エンタが始まる前に寝ることも多い。
第三四半期から始まった広末のドラマが面白くて見てるので、その後のエンタも見るようになったが、
第二四半期のごくせんは全然興味がなかったので、9時に寝ていた。
広末のドラマが始まって久しぶりにエンタを数周続けてみたが、ずいぶん方向性が偏って、
あたしの好みではなくなったなと感じた。

一人だけ、方向性の問題ではなく、テレビで放映することに問題のある人がいた。
それは、ババァの格好をして、年寄りだから友達が出来てもすぐ死ぬとか、
年寄りだから震えるとか、年寄りであることを笑うネタだけをやった人がいた。
あたしの口から道徳を語るつもりはないが、あたしから見ても行きすぎだったのでさぞ抗議があったろう。
抗議を受けるリスクを上回って面白いことなら、ドンドンやっちゃえばいいと、個人的には思う。
しかしあれは、素人の宴会レベルでもバカにされるほどのつまらなさだった。
個人的な感想ではない。
年寄りが日常会話で自虐的なことを言って、介護士が笑顔でそれを否定する。
そんなありふれた話題を、わざわざ舞台の上でやってネタ呼ばわりって、勘違いしすぎだろ。
痛切に感じたのは、面白いから披露しているのではなく、
披露しなきゃいけないからって無理矢理ネタを考えたんだなということ。
エンタに限らず、無理に絞り出した感じが伝わってくると、笑いより同情が先行してしまう。

その一人だけの例外はさておき、全体的に、宴会でモノマネできる人を出演させる方向性のようだ。
キ、モ、イ、キモイ!って人とか、重要なキーワードを自分から言っちゃ台無しだろとか、
キモさで売ろうとしてるのにキモさの表現が下手で、不潔さや怖さを表現しちゃってるので、
自分でキモイって言わなきゃキモイってことが伝わらないとか、基本的な部分が見せれるレベルじゃない。
それでも、素人がおぼえてマネできるからエンタに出てくるんだなと感じた。
音楽として聞いて楽しめる物より、カラオケでマネできる歌が流行るのと一緒だな。
お笑い番組で笑おうなんて思ってなくて、いつかマネするためのネタ集めに見てる人が多いのだろう。
素人がマネできないようなお笑いは、玄人だけが楽しめば良いし、
大衆が求めるのは大衆が楽しめるお笑いであり、大衆はテレビで笑うことより自分がマネして笑わせたい。
すなわちエンタは歌番組と一緒で、笑う番組ではなく、覚えようと思って字幕を読む番組なのだ。

笑えるかどうかが大衆の求めるお笑いの基準なら、エンタはとっくに打ち切られていただろう。
イロモネアはアドリブ主体の笑いが多くてマネ出来ないから、笑えるけど視聴率的には伸びないだろう。
今日本で流行ってるのは、笑える笑いではなく、マネ出来る笑いであるとエンタが示しているのだ。
ルネッサーンスってみんなで乾杯したいとか、何でもかんでもingつけてグーっていったりとか、
最近減ったけどそんなの関係ねぇって踊りたいとか、右から何かが来て左に受け流すとか、
ヒットエンドラーンしたかったりとか、カラオケ的に覚えてマネしたくて流行っているんだよ。
マネ出来ればそれで良いんだから、あまり長々とやらず、1分位で終わるネタで十分。
エンタでは一人あたりの持ち時間が相当短いが、時間をかけて面白くする必要がそもそも無いんだよ。

あくまで傾向の話であって、M-1で勝つような実力者も出てるし、そこは笑うところだ。
笑うべき芸人と、マネすべき芸人をごちゃ混ぜにして出演させてるところも、
マネすべき芸人を面白そうに見せる効果があって、番組は非常にうまく回っていると思う。
笑える芸人以外は許せない人にとって、エンタはイライラするが、大衆にとってはあれで正解なんだな。