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2008年 8月 4日 のアーカイブ
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現在、74ページまで読んで、納得できないのでいったんストップ。
本のタイトルと納得できない単語をあわせて、「絶対計算 錯覚」でググって見た。
あたしはこの本で錯覚だと書かれていることが、全然錯覚ではない気がするので、
そういうことを誰かがネットで書いてないかなと思い、ググるとしたらこんなキーワードしかなかろう。
しかしこれでググってもめぼしいものがヒットしないということは、やっぱり本の内容は正しいのか。

理論が間違っているとは思わない。
計算はバッチリあっている。
65ページの、もともと白地が20目あり、後手20目のヨセと後手10目のヨセが残ってる状態で、
間違った方を選ぶと10目損するというのが錯覚なのだそうだ。
そこだけ納得できない。
正しく打つと25目になるから、もともとの20目と比べたら5目の得であるという点は納得だ。
間違えて打つともとの20目と比べて5目損して15目になるというのも納得だ。
じゃぁ、そこだけで10目の差がひっくり返るんだから、錯覚じゃなく間違いなく10目損してるじゃん。
序章でも、20目と10目のヨセが残っていたから6目半はひっくり返るという話が出てくる。
それが錯覚だと書いてあるけれども、錯覚じゃなくて本当にひっくり返るじゃん。
6目半がひっくり返ることは確かなのに、5目の損だと考える事の方が錯覚じゃないか。
本当は5目得できるところを5目損したというのなら正しい。
だから出入りで10目損しているし、6目半の差を逆転したのはそこだという話に錯覚はない。

後手20目は1手で10目の価値だという説明は本当にその通りだ。
後手10目は1手で5目の価値だという説明も正しいし、本を読んで納得した。
こちらが10目の手を打って、相手が5目の手を打てば5目の得で、
相手が10目の手を打って、自分が5目の手を打てば5目損したって事で納得できる。
で、その両方の盤面を比べると10目の差がついているのは現実だ。
5目損して負けた場合、そこで5目得してれば10目差がひっくり返るのは錯覚ではない。

別に、6目半がひっくり返らないとはどこにも書いていないが、
10目だからひっくり返すって話が錯覚だって言うなら、それは5目だからひっくり返らないと書いたも同然。
本当にひっくり返らないのか?
打つ前と比べて5目損してるけど、打つ前と比べて5目得することが出来るんだからひっくり返るだろ。
ひっくり返ったら錯覚じゃなくて、呼び方の押しつけだろ。
10目差をひっくり返すところは5目と数えろ、単に10目と呼ぶな、出入り10目と呼べっていう押しつけだ。

でも、ググってもこの錯覚という部分につっこんでるようなブログも見つからないし、
実際にこれはひっくり返らないのかも知れない。
それとも、10目差がひっくり返るところを10目損したと考えるのは本当に錯覚なのか。
5目損したけど5目得できたから10目ひっくり返ったねと、いちいち紛らわしく言い直させたいのか。
棋力は必要ないって書いてたけど、棋力がないせいで10目ひっくり返るとしか思えない。

この本では、今まで正しいと思ってたことが錯覚だったねということで、目から鱗を落としたいのだろうが、
逆に、書いてある事に全て納得した結果、錯覚ではないという結論が出てしまったのだが。
よその人はちゃんと、錯覚だったと結論が出て喜べているんだろうか。
あたしは錯覚だと言うことが錯覚だと思うが。

それもあってる、それもあってる、すごい、だとしたら錯覚じゃないじゃん。
って、全部納得すると結論だけ納得できない。

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囲碁の本を買いたい気持ちがしばらく低下していたのだが、またいろいろ欲しくなってしまった。
欲しくなったのは三冊だが、そのうち二冊だけ注文し、あとの一冊は送料の関係で次回注文する事にした。

とにかく早急に読みたかったのは、王銘琬の、ヨセ・絶対計算と言うやつ。
強くなるヨセの知識をようやく読み終わったばかりだが、まだまだヨセの本をたくさん読みたい。
ヨセの本といっても、ヨセで先手を取る手筋や1目でも得する手筋などを書いている本ではなく、
数え方が書いてある、読みながら数え方の練習をする本が読みたい。
そういうヨセの本をいろいろ読んでいる内に、少しでも数えるのが得意になりたい。
数えて数えて数えまくる練習をしたい。

つーわけで読み始めたのだが、いきなり出入り計算だけではダメだと書いてある。
今必死で身につけようとしている出入り計算ではダメなのか。
つーかこれ、出入り計算を練習しようと思ったのに、出入り計算をしない本なのか。
序章ではいきなり問題提起されてしまったのだが、問題の答えはとりあえず出して貰えず、
まずは第一章から読めということになった。

出入り計算では、ヨセの一手の価値が何目かを計算した。
自分から打った時と空いてから打った時の形を比較し、その差何目かを一手の価値とした。
絶対計算の第一章では、その一手の価値ではなく、その一手を打つ前の価値を計算する。
で、おそらく第二章からは、一手打つ前の状態と比較するのだろう。
ともかくなんでも良いから数えまくるつもりで読むしかないな。

棋力はいらないとか、数え方を知っているかどうかだけの問題だとか言ってるわけだが、
実際は先手になるか後手になるか、後手を嫌って手を抜くかを考えつつ、
最終的な形をイメージしては数え、さらにそれを覚えたまま今度は相手から打った場合も考え、
その両方を比較してようやく数が出るので、数え方を知っているだけじゃどうにもならない。
どちらから打てばどうなるかを、数える前にイメージする程度は、棋力と呼ばないということだ。
あたしがこれから身につけようと必死になっている能力は、誰でもはじめから身についていて当然で、
訓練しなくてもやり方が分かれば出来るようになるものらしい。
なるほど、健常者になるのはずいぶん難しいものだ。
ハンディキャップを克服するため、この辺は徹底的に訓練して、健常者に追いつかなきゃな。

このヨセの本も読みたいし、もう一つ全然分かっていない分野であるコウの本も買ったし、
まだ買うつもりでいるし、読みたい本はたくさんあり、しかも出来れば繰り返し何度も読みたい。
買った本を読む時間が不足がちなのに、囲碁未来の定期購読を継続すべきか迷っていた。
継続しなければこれで最後となる9月号を読んだが、簡単すぎるところは図の解説を読み飛ばすし、
定石のコーナーは逆に理解できるところしか読まないし、これ一冊読むのにあまり時間をかけていない。
このくらいなら毎月来ても、あまり熟読しないということで時間を作れそうだ。
NHKテキストの方は、半年に一回は内容が変わる。
今やってる格言の話は簡単だからついて行けるが、また難しすぎるナダレ定石の内容になったらやめる。

雑誌は基本的に、さらっと読んで放置するくらいの気持ちで買う。
そうしないと雑誌以外の本を読む時間がなくなる。