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碁の計算学入門の第二章、何目の手か数える問題をやっている。
非常につらい。
まず、黒からの一番得な手を考えるのだが、死活の問題と違って手抜きされる事も考慮する。
この考え方にはだいぶ慣れた。
せっかく前に出たのにその後手抜きしたら、その前に出た分丸々損になる場合は手抜きを考えない。
それ以外は、受けて良いかどうかを考えるという作業もする。
で、正解とは限らないまでも、自分なりに一番得っぽい形までヨム。
次に白からも、一番得っぽい形をヨム。
そもそもこの時点で最終の形が違っていたら、その後で数えても不正解になるのだが、
一応比較して数える。
書けばわかるものを書かないで比較するからややこしい。
しかし、実際に対局中に書いて数えるわけには行かないので、頭の中だけで数える。
だから数え間違いも多くある。
ということは、だいぶ誤差のある答えが出てしまうのだが、それなりの大きさになる事が分かる程度で満足。
答えが完全に分かるほど簡単ではないので、かえって、どうせ間違えるんだからだいたいで良いと思って、
いいかげんなヨミと、大雑把な数え方をしてしまう。
ところがこれがよく当るし、外れても誤差が少ない。
一生懸命時間かけても、だいたいこんなだろうとどんぶり勘定しても、出る答えは似たようなものになった。
作業がなかなか正確にならないうちに、経験による勘がだんだん追いついてきたよ。
まぁ、勘は大雑把にが限界なので、正確に数える練習はもっとしなきゃいけないのだが。
しかし全く分からない状態でなくなったことは大きい。
たとえばブラジルの通貨で500ヘアイスって言っても、最初はそれが高いか安いかも分からなかったりするが、
円に直すといくらだっていう指針があってようやく分かってくるわけだ。
さらに、実際に行って、レストランに入るといくら、ホテルに泊まるといくら、地下鉄はいくら、って経験して、
ようやく今度は地元での価値が分かってくる。
それと一緒で、10目って言われても500ヘアイスと同じくらい分からなかったのが、だんだん身について来た。
感覚は身についてきたけれども、作業効率は悪いままで、なかなかつらい。
苦手だからこそ集中的にやってるのだが、苦手だからこそあまり先に進まず、
頑張っても頑張っても、まだまだつらい。
飽きるほどやって飽きてしまっているので、ヨセの本を買うのはこれで終わりにしよう。
毒ギョーザ、大気汚染、チベットなど、やる前から話題が尽きず、注目を集めてきた上に、
時差も少ないのでマトモな時間に行われるということで、結構な視聴率は出たんじゃなかろうか。
たかが開会式ごときを、見たいと思って見たのは初めてだ。
悪いことが逆に宣伝になってると感じた。
鳥の巣の天井に何かが取り付けられ、どんな聖火を用意してるのかと、
やる前からこんなにテレビで話題にしたオリンピックはない。
開会式が終わってからなら、すごかったねって話題になっていたが、やる前からだもんな。
いかに日本人が中国に関心を持っているか表れていた。
あたしは最初の1時間程見て寝ちゃったのだが、4時間やったらしいな。
聖火の点火シーンと選手の入場が見たかったのに、いっこうに始まらないからあきらめちゃったんだよね。
いっこうに始まらないまま、花火とマスゲームが次々と行われていた。
足跡の形の花火が連続で上がってスタジアムに近付いてくる演出は感心した。
船のオールをこぐマスゲームは、あまりにも人数が多くて、あれほどの人を統率出来ることに感心した。
電飾タイツの人達はチカチカ刺激的すぎる感じもしたが、付けたり消したりを効果的に使ってて見事だった。
何から何まで壮大で、感心しっぱなしの、すごい開会式だった。
でもそれが見たかったわけじゃない。
何日も前から焼肉が食いたくて、いよいよ今日食べようと思ったら、すごいうまいラーメンを食わされた気分。
ラーメンは確かにうまいが、もう焼肉食いたくてしょうがないのに、ラーメンのおいしさは今はどうでもいいんだ。
そういう気分だ。
中国としてはあのお祭りを見せたくてしょうがなかったんだろうが、見てる側は押しつけられただけだ。
ボクシングの特番で試合が始まらなければ苦情が来るんだから、この開会式もそうあるべきだ。
日本では許されないレベルだった。
ショーの質が低いと言っているのではない。
見たい人だけに見せればいいのであって、あれは開会式ではなく、前夜祭とかでやるべきものだった。
金をかけたんだからみんな見たいはずだという決めつけがいかにも中国らしい。
中国だからああいうことをしたんだなぁと、実に納得する開会式だった。
今朝ニュースで点火シーンを見て、昨日は途中で寝て正解だったと思った。
なんたるショボい宙づり点火。
それだけか。
中国の偉大ななんとかさんが登場って、知らんがな。
その人が出てきて沸くのは中国人だけだろ。
さんざん秘密とかいっておいて、楽しめたのは中国人だけか。
訪れた客に自分のお宝をさんざん自慢するのが、中国流のもてなし方って事だろうな。
飯を食うならその前に武勇伝を聞け、とかって言い出すんだろうな。
遠方から友が来たのに、楽しんでるのは孔子だけで、
友が楽しんでいないことに気がつかないというテーマが感じられた。
この調子じゃ、競技中も中国独自の何かがあり、中国だけが楽しいオリンピックになるかもしれないな。