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あるゲームが面白いかどうかについては、ラーメンの好みと同じくらい分かれるところだろう。
例えば昔からあるファミ通のレビューだって、たった一人の評価ではなく、
複数人でそれぞれコメント書いてるからこそ参考に出来る。
そして最近は、レビューサイトを見てどのゲームが面白いとか情報を得ている。
いろんな人の書いているのを見ていて気になるのは、「やり込み要素」と言う言葉だ。
まず、ゲームにはそれぞれ多少なりともストーリーがあり、
そのストーリーを最後まで見せるのが当たり前な風潮がある。
エンディングとかスタッフロールとかまで、ある程度の時間をかけて到達させる。
そのゲームが面白いと思わなかった人は、その止め時がまさにこのタイミング。
あるいは多少面白いとは思っても、既に別のゲームに気が行ってるとここでやめる。
このゲームが気に入って、しかも他にやることがなければ、まだ続けることが出来る。
その、クリア後にも続けられるように、初めから盛り込んでおいた物が「やりこみ要素」だ。
すなわち、クリアまでとクリア後と、最近のゲームは二部構成になってるわけだな。
これによって、二極化するライト層とヘビー層の両方を満足させられることになる。
クリアまでの部分が少ないとヘビー向けとなり、クリア後が少ないとライト向けとなる。
人によって、一つのゲームを長く遊びたいか、より多くのゲームで遊びたいかも異なり、
長く遊びたい人は一回クリアしておしまいのゲームじゃ物足りないし、
いろんなゲームをやりたい人は、あまり長すぎるゲームは早く終わって欲しいと感じる。
一人の女をジックリ愛したいか、たくさんの女と後腐れなく交わりたいか、それに近い。
その二部構成の二部目として最もメジャーなものが、「全部集める」という行為だ。
例えばポケモンだって、ごく一部の強いポケモンしか捕まえないでクリアできるが、
図鑑を完成させるには昼と夜と両方ゲームして、友達と通信で協力して、
弱いポケモンを戦闘につかって進化させて、卵をかえして、と、色々しなきゃならなくなる。
特に初代ポケモンに関しては、図鑑の未完成部分をクエスチョン表示することで、
その虫食い部分を埋めたいという気持ちを高ぶらせた革命的ゲームだったなと今思う。
既にあったポケモンがリストアップされるだけでなく、虫食いがあると言うことが重要なのだ。
例えば宝箱回収率何%とだけ表示されても、どこを外したかわからなきゃ面倒なだけだ。
しかしもし、宝箱図鑑に中身まで表示してリストアップされ、
開けてない宝箱がクエスチョンマークで表示されてたら、そこを開けに戻りたくなる。
ゲームじゃなくても、マンガの単行本とかでも何巻か抜けてるとそこを埋めたくなる。
シールや人形だって、集めることに意義があり、その一つ一つには価値がなかったりする。
どうやら我々は、もう本能的に全部集めなきゃ気が済まないように出来ていて、
ゲームのやり込み要素として図鑑とかを盛り込むのも、本能を利用した当然の流れ。
早くゲームを終わらせたいライト層でさえ、図鑑の虫食いは埋めておきたくなる。
もうやらないゲームでさえ、いつか図鑑の続きを埋めようと、手元に取っておきたくなる。
簡単に埋められない図鑑は中古対策にもなって一石二鳥というわけだ。
悲しいかな、エミュレータでゲームを遊んでる人は、やりたいゲームだけの入手では気が済まず、
絶対にやらないであろうゲームまでダウンロードし、全部集めること自体を楽しんでいる。
ゲームの中での図鑑完成よりも、ゲームROM図鑑を完成させるのに夢中になってしまう。
それは、ROM管理ツールなるものでどのゲームを持ってるとか持ってないとかわかるせい。
自分がどのゲームを持ってないかが容易にわかると、それを探して埋めたくなる。
まぁこれも、欲しいのだけ落とすライト層と、全部落とすヘビー層の二極化だろうけどね。
そっちで十分楽しんでるので、図鑑埋めるようなゲームにはイマイチ興味なかったりする。
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