近所で物騒

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おとといの土曜の夜中、近所でオッサンがしばらく叫んでいた。
叫ぶにもいろいろあり、恐怖の叫びあれば、歓喜の叫びあるだろうが、今回は怒りの叫びだった。
夏だから窓開けてるし、他所の家で子供が叱られてるのが響くのかと思った。
シツケのために叫んだのか単にケンカしてるのか、ハッキリとは聞こえなかった。
変な人だったら怖いなと言う思いもあったが、田舎過ぎて変な人は来ないという確信もあった。
何を叫んでるかもわからないほどの距離感もあって、普通にほっといた。

そしたら次の日、村中でそのお話で持ちきりだ。
ちょうど子供会でねぷた祭りの打ち上げみたいなことをやっていて、
情報交換が盛んに行われたらしい。

聞いた話によると、知ってるお兄さんで、お兄さんと言ってもあたしが子供の頃のお兄さんで、
そのお兄さんだった頃から一切見てないので、顔もちょっと思い出せない。
まぁたぶん40代かな、50前だろうなっていう年ぐらいだな。お兄さんじゃなくておじさまか。
そのおじさまが、他所の家の敷地に入ってきて、殺すぞみたいに言ってたらしい。
暗い中、大声で怒りの叫びを上げる人がいて、顔を出してみる人と見ない人がいた。
ある人は、それが誰だったかも確認できなかったし、またある人は彼を知らなかった。
しかしその、ちょうど翌日にあったミーティングにより情報は集約され、
人物も特定されたし、酔っぱらってフラフラ転んだりしながら歩いてた事までわかった。
酒癖が悪くて迷惑かけただけでなく、次の日も怒りが収まってないらしい。
マ ジ コ ロ シ タ イって感じで、一触即発なようだ。
で、警察はそういうとき助けてくれるのかどうか、みたいに盛り上がっている。

相手は70歳とかの老人で、昔なら殺さなくても死ぬ年齢だ。
その人の感想、もう年だから死んでも良いけど、殺されるほど悪いことしてない、に不快感。
そうなのだ、今日これを書くのは、物騒なおじさまに対する何かしらではなく、
被害者老人に対する心からのムカツキなのだ。

最近特に思うのは、「生きてるだけなら悪じゃない」みたいに思い上がってる人多すぎ。
いや、「悪いことしないで生きてるぞ」と、勝手に思いこみすぎてる人と言うべきか。
例えば今回のような件があっても、自分では何も思い当たらないってのが最悪だ。
しかもこれは、この老人特有のものではなく、大人から子供までこういう人ばかりだ。
何かマイナスなことが起こるたびに「何も悪いことしてないのに」なんてあまりに傲慢。
何かしたからその報いで何かが起こるとは限らないのは言うまでもない。
では、例えばこの老人は、おじさまに何もしてないから殺されるべきでないと話すなら、
その70年の間に犯した罪に対して、全て制裁を受けてきただろうか。
ちょっとした悪でも全て罰を受けた人こそ、無実では罰を受けない権利がある。
しかし人間はそんなに完璧には生きられない。
普通に毎日、助け合いもするが、少しずつ何かしら他人を不快にしたりもしているわけだし、
何とも思わずに、当たり前に、他の人と同じ事をしたつもりで、何かやらかして生きている。
何かしら他人と接点のある人間は皆、当然に殺される原因を毎日積み重ねてるよ。
何も悪いことしてないのもあり得ないし、悪いことしてないと思いこむのはもっと悪だ。
そもそも、産業革命後の人類は日々生きるだけで最悪なのだ。

自分は悪いことしてないと、悪そのものである人間が言うのはあまりに傲慢だろう。
本当に何もしてないかも知れないけど、そんな事言った時点で消してしまいたい。
こんなのと同じ、人間に生まれてしまった自分もなかったことにしたい。

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