ガラケーのババァ

あおり運転をした人をかくまったババァって、どうしてガラケーで撮影してたのかと。
動画か写真かはわからないけれども、男より先に降りて撮影してたよな。
被害者の車の正面に立って撮影、殴ってる間は横から撮影、ガッツリ全部残してる。
そのカメラはあおった男じゃなく、あおられた被害者をずっととらえている。
これは非常に不自然なことだ。
逆に例えば被害者のドライブレコーダーって、加害者を撮影してるから自然なことだ。
コンビニの防犯カメラも万引きの瞬間を撮影してるから自然なことだ。
悪いやつの悪いこととするシーンを撮影するから意味があるんだよな。
証拠の撮影をして、自分がひどい目にあいましたよと、残しておく事が重要だ。
だのにババァは、暴力をふるわれている方をじっと撮影している。
どうして撮影を開始しようとしたか、何かあって撮影したがらなきゃつじつまが合わない。
そしてその撮影を、暴力という行為があってもまだやめない理由が存在する。
ひどい目にあわせてる一部始終を記録するってのは何の得もない。
もし趣味で暴行動画を撮りたいなら、被害者の方ばかりじっと撮影しないだろうと。
キチガイでも本人なりに理由を持って行動するわけで、むしろキチガイほど信念がある。
ババァはガラケーでこの被害者を撮影することが絶対必要だと、信念を持って行動した。
ババァなりに逆に被害に遭ったと感じる原因があり、証拠を残したかったに違いない。

逮捕だか確保だかされるシーンでも、ババァは先にあおられたんだと主張している。
もしそうだとしたら、なるほど、あおられたから証拠撮影してやろうとなら思うよ。
ただし問題は、あおってないのにあおったと感じてあおり返したって言うところだ。
あおっただのあおられただの、やっぱりドライブレコーダーで他人の判断しかないよな。
しかしたとえドライブレコーダーでも、あおりかどうか微妙なケースはどうするのか。
あおったつもりがないのに相手があおったと感じたら、それはあおりですの理論か?
って、そこが今言いたいいちばんのポイント。
遠回りしたが。

セクハラのつもりがなくても相手がそう感じたらセクハラなんだろ。
じゃぁあおったつもりがなくても相手がそう感じたらあおりだろうが。
その理論だとキチガイの方が先にあおられたからやったって事で両成敗が必要だ。
被害者ぶってるやつの方が逆に悪い。
無自覚にあおってしまって、相手に不快感を与えた反省が必要って事になる。
今回の加害者がいかに横暴かは理解出来る人ばかりだろう。
でもここで被害者側に一方的に味方するなら、それはセクハラの理論も崩壊する。
嫌がらせる意志でやったものと無自覚にやったものを同格に扱うことは出来ない。
あおりだと感じる人もいる運転は気をつけましょうであり、あおりではないだろ。
じゃ、セクハラだと感じる人もいる行為は気をつけましょうであり、セクハラではない。
もちろん、イジメだと感じたらイジメってのも、こいつらと同等の横暴。
いや、別にあたしには人間共がどっちを正しいとするかはどっちでも良いんだよ。
しかし自分で言ったことと真逆のことを言ってる人がいると気になっちゃうだけ。
セクハラだと感じたらセクハラ、って事で通すなら、あおりだと感じたらあおりも通せ。
ババァはあおりだと感じたんだから、今回の件は被害者が悪いと主張しろ。
逆に今回の加害者を責めるなら、意図しないセクハラはセクハラではないと主張しろ。
都合良く毎回被害者ヅラして悪者批判してる人間共が嫌い。

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