激辛に幸福を感じるか

1619 letters | コメントする

時々、辛い物が食べたくなるんだけど、食べても満足してないことに気がついた。
甘いものが食べたいときに実際に甘い物を食べれば満足する。
肉が食いたいときに肉を食うと満足する。
何が満足なのかはわからないが、食いたかったものを食って良かったという気になる。
それが辛い物に関してだけは、食べても食べても満足に到らない。
肉に満足したときは、しばらく肉じゃなくても良いと思う事ができる。
その感情が辛さにはなく、たくさん食べてもより辛くしても、全く幸せになれない。
辛さを求めてはいるのに、辛さを与えられても満足を感じない。
それで考えてみたら「辛くて幸せだー」って人はいないんじゃないかと。
辛くないことで物足りないって事はあるよ。
物足りないからより辛くすることはあるんだけど、辛くしても満足ではないんだよ。
もっと辛くても良かったと思うか、辛すぎたと思うかはよくある。
辛くて良かったってのはない。
辛くてうまかったから良かったってのはある。
うまいかどうかの満足は何を食っても感じるが、辛さが欲しくて食って満足はない。
このように思い始めたのはここ数週間ぐらいだから、まだ要観察の段階ではある。
自分の辛さに対する欲求と、満足度の関係をまだ追いかけていきたい。

って、そこまではいいんだよ。
疑問に思ったらググるじゃん。
ググると出てくる情報が、コピペで同じ事ばっかり拡散されてるわけだ。
拡散されてるからって正しいとも限らなくて、あたしはその情報の根拠も知りたいのよ。
偉い人がそう言ったから、よそのサイトでもみんなそうだと言ってるから、で終わりよ。
それは文系の情報であって、あたしは理系の情報が欲しいの。
間違っていてもみんなで間違ってたら別にいいって人もいるよね。
それじゃなくて、みんながどう思っていようが、あたしの納得出来る情報が欲しい。
そのコピペ拡散情報では、辛さで快楽の物質が出て、もっと食べたくなるらしい。
でもあたし自身は全く逆で、快楽の物質が出てないから満足しないのかと思ったわけ。
おいしいものを食べて得た快楽を、辛い物を食べて得た快楽と混同してやしないかと。
辛くて美味しい物を食たときが、ベルを鳴らして食事した状態と同じで、
辛くて美味しくはない物を食べた時が、ベルを鳴らして食事しなかった状態。
本来なら美味しい物を求めるべきなのに、辛い物を求めてしかも満足しない。
満足しないからエスカレートしてどんどん辛くなるっていう構造を思いついた。
一般的なコピペ拡散と真逆なので、コピペ拡散の根拠となる情報まで欲しくなる。

世間では、ネットの健康情報に嘘が書かれてあったとか、時々ニュースになるけど、
ニュースになるほどの危険なことでなくても、ほとんどのことは証拠が出てないのよ。
たとえ嘘でも、多くの人が信じていることは本当と言う前提で拡散してるからね。
どこまでが証拠のある話で、どこまでが大多数の見解か区別がついてない。

ともかくあたしは自分の辛い物に対する欲求と、満足を得られたかの関係を注視する。
常識は足かせになるので無視し、自らの満足をより多く得るために自分を観察する。

たぶん関連のある記事:

コメントは終了しています。