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なんらかの役にも立たないモニュメントを生涯かけて作り続けるだけの人になりたい。
いろんなモニュメントを作るんじゃなく、たった一つを死ぬまで作り続けたい。
そのモニュメントは誰かにほめられなくても良い。
モニュメントではなく、それを作るあたしが、作り続ける人として見守られたい。
自らの力で生きのびることをあきらめ、誰かの役に立つことも諦める。
あたしはただひたすら、あたしにとってしか意味の無い作業に夢中になりたい。
だからアートでも職人でもなくモニュメントがいい。
残念ながら、絵でも立体でも美しく作りたい欲求はなく、こだわった形とか一切無い。
たとえば自分の墓を死ぬまで作り続け、それ以外になんの興味もない人で良いんだよ。
でも自分の死後に興味がないから、どんな墓に入るかに全く興味もない。
じゃあ生きてる今、墓のつもりで入って楽しむモニュメントはどうだろうか。
それでもやっぱり形をどうしたいとかこだわりが生まれず、生涯は続けられない。
生涯で続けられないからって、似たような物をたくさん作るのも目的が違う。
没頭し、一つを作り続ける行為に意味があり、その作られた物には何の意味もない。
どこで完成なのかと言われたら、完成はしないと答えるもの。
死ぬまで石を積み続け、崩れたらまた積むだけで、生涯それしかしないという感じ。
それも残念ながら、あたしが石積みに興味がないせいでボツだが。
実際に自分がモニュメントを作るとしたらどこに作るか考えたのよ。
家の敷地は有限だから生涯は難しいし、オールシーズンでオール天候では出来ない。
没頭するんだから出来ない日があるようではダメなのよ。
それでデジタル空間が良いかなとは思っているんだよね。
でもデジタル空間の問題はプラットフォームのアップデートだ。
かつてあたしにとってはその理想のモニュメントに近かったのがテキストエディタだ。
Windowsが永久にXPのままだったら、XP向けテキストエディタを死ぬまで作ってた。
でもWindows自体がどんどん変化していくと、モニュメントの地盤を壊されてしまう。
これはWindowsだけじゃなく、どのプラットフォームでも起こりうることだ。
テキストエディタは実用性も求めたから、そう言う変化に影響を受けやすかった。
もっと、全くもって実用性もなく、ただあるだけのモニュメントが理想だ。
でも実用性を度外視すると死ぬまで続けるほどのモチベーションも見つけられない。
今思えば、テキストエディタを作るという行為に意味があり、理想の生き方だった。
だから今でも時々、その頃に戻って続きをやりたいと憧れてしまう。
まぁ、いざやろうというまでには到らずにいるんだけどね。
モニュメントを作り続けるキチガイで、パンツも自分じゃ替えられなくなりたい。
一心不乱にきちがいたい。