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宗教に多額のお布施をしている人って、その金額に比例するように信仰心が強いのかというとそうではなく、むしろ、他の信者が多くお布施してると自分はもっとお布施しようという競争心を抱いて、不必要にお布施金額をつり上げている。別に多くお布施するほど見返りがある訳じゃない場合もあれば、多くお布施するほど地位が上がる場合もあるだろう。もしくは単に誉められるだけとか、誉めはしないけど誰がどれだけお布施したか発表されるから勝ち負けがわかるとかの場合もあるだろう。誰とも比べずに個人が個人の信仰心からお布施をする金額はたかが知れているけれども、競争が入ってくると過剰なお布施になる。もはや信仰とか関係なく金額の争いになる。いや金額だけじゃなく、勧誘活動でも競わせることで過剰なことをやっちゃうな。組織を大きくしたり、資金を多く調達する為に、宗教の本来のあり方を逸脱して、単に信者同士を争わせるだけの組織に成り下がる場合がある訳だ。いやほとんどそれだろう。
スマホのソシャゲの中には、自分との戦いがメインのゲームと、他人との戦いがメインのやつがある。パズドラは全然他人との競争がないので、かなり健全な方だ。ガチャのやりすぎとか恐ろしいけど、やりすぎを誘発するような要素が少ない。でも他のソシャゲはたいがい他人と競う。黒猫ウィズは魔道杯で順位が出るし、ワサコレは毎週リーグ戦して月一でグランプリがある。こういうのは、最初から一切お金を払わなければ、お金を払ってる人だけの順位争いだと割り切って遊ぶので、順位自体が気にならない。でもいったんお金を払ってしまうと、お金を払えば順位が上がり、お金が足りないと順位が下がることを経験する。ブレイクジョーカーでそう言う事を経験したが、自分がお金を十分に払って順位を上げても、自分に勝ちたい他人がもっとお金を払って上に行くので、その他人よりさらにお金を払って上位に行かなければいけなくなる。上位には上位の報酬があり、その報酬は一定金額払えば貰えるのではなく、他人がより多く課金すれば自分ももっと課金しないと、最初は貰えるつもりだった報酬が途中から貰えない順位に転落して、予定した予算をどんどんオーバーしていくか、それとも最初の方で支払ったお金を無駄にするかという選択になる。
ソシャゲって宗教だよね。宗教が信仰心でお布施を集めるわけじゃなく競争でお布施を集めるのと同様に、ソシャゲもゲームの面白さじゃなく競争でお金を集めてるんだよ。面白いゲームにお金を払うならそれは遊戯代であって、遊んだ分、遊びたい分、と冷静に適正に対価を支払う事ができる。しかし競争で勝てば報酬を貰えるとかってやつは、お金で勝利を買って順位を上げてるわけで、他人との課金額を競うわけだから、ゲームの面白さは関係ない。もちろん、負けるよりは勝った方が面白いんだから、面白さを買ってると思えば遊戯代だ。けど例えばゲーセンの対戦台が、お金を多く払った方が勝ちというルールだったらやらないだろ。ソシャゲはゲームが単純すぎて、課金額勝負に腕前勝負の入り込む余地がないので、ゲーセンのゲーム勝負とは全然違う。ゲームの姿を借りた課金額勝負だ。宗教の姿を借りたお布施額勝負だ。
ワサコレでは他人のチームメンバーを覗くことが出来て、見るとうらやましくなるんだけど、うらやましいと思ったらもう宗教にハマってると思う。他人と競う要素がないパズドラでも、他人の持ってるキャラがうらやましいと感じるからガチャしたくなるし。他人と自分を比べることが、ソシャゲと宗教のお金集めの基本。にもかかわらず、信仰心によらないお布施は宗教のやるべき事じゃないし、遊戯代とは言えない課金はゲームのやることじゃない。競争でお金を集めることを犯罪にして取り締まって欲しいなと思うわ。